2007年12月10日月曜日

権力と支配の話、もしくは、無力な権力の話。

2001年の秋から、もう6年も前のことになるのですが、僕はドイツのストゥットガルト大学でコンフォーカル顕微鏡のプロジェクトに参加していました。そのおかげで、2002年のお正月、ちょうどヨーロッパの人たちがユーロ貨幣を使い始める瞬間をその場で見ることが出来たわけです。まあ、実を言うと、収集癖のある僕は、がんばって銀行にならんでユーロコインのスターターキットを手に入れたりしてたのですが…

 ユーロコインって、表側のデザインは各国共通なんです。「50セント」とか書いてあって。でも、裏側のデザインが全部の国で違うんですよ。コレクター心をメッキョ[1] くすぐります。で、やはり、今この瞬間にヨーロッパにいられる幸福に感謝するためにも「集めなきゃでしょ!」と思ったわけです。で、必死に集めたわけです。別に隣国まで遠征するわけじゃないですよ。ただ普通に日常生活を送っていて、買い物した時におつりをチェックするわけです。まだ集めてないコインがあるかどうか。で、びっくりしたんですが、なんと、ユーロ貨幣使用開始から2週間もすると、近所の国のコインが普通におつりに混じってくるようになるんですよ。シュトットガルトで。イタリアとかフランスのコインが。

コレクターとして仰天+興奮したのですが、それ以上に別の意味で仰天+興奮、いや、仰天×興奮!しました。ドイツとフランスなんて、つい最近まで何度も戦争やってるわけですよ。それが、今や、ユーロ使用開始後2週間でコインが行き来するぐらい近い存在になっているのです[2]。コインが行き来するって、貿易とかじゃないじゃないですか。「人」そのものが行き来するってことだから。

これはすごいことになった!と思ったわけです。実際にはユーロ貨幣流通の3年前から、ヨーロッパでは商取引はユーロベースで動いていたわけですが、実際に目の前に「ユーロコイン」「ユーロ紙幣」という通貨が実態として現れると人々の気持ちが違います。実際、その時僕の周りに居た人たちはみんな興奮してたし。自分たちのおじいちゃんどうしが戦争をしていた国に遊びに行くのに、パスポートも両替もいらない。その体験はすごいインパクトですよ。こりゃ、本格的にヨーロッパは一つになるな、と、そう思いました。実際、その直後には「EU憲法」なんて話も出て来ることになったわけですし。

 こりゃもう、アジアもうかうかしてられない!と思いました。僕らもなにかしなくちゃ!と。国益とかなんとか、一国のレベルで考えてる場合じゃないでしょ!アジアの通貨統一?しなきゃまずいでしょ。ヨーロッパとアメリカの経済に呑み込まれちゃいますよ。アジアは。国と国がいがみあってる場合じゃないでしょ!政治協力?やらなきゃ!やらなきゃ!

今からちょうど6年前、こういう風に感じたのです。でも、これ、本当にそうなんでしょうか。

 ここでちょっと話を変えます。

 最近、仕事の関係で、いろんな業種の人と会って話す機会があります。僕らのようなアカデミックポジションにいるエンジニア、産業界に身を置くエンジニア、大学の医局の中のお医者さん、工学部の学生、医学部の学生、メーカーの営業系の人たち、企画系の人たち、契約、法務、財務の人たち、大学を支える執行部の人たち、本部の人たち。それぞれがそれぞれ異なった世界で異なったヒエラルキーに属して生きています。(少なくとも僕にはそう見えます)。

6、7年前。僕が博士課程の学生だった頃、僕は、日本の工学アカデミズムの、しかも「光学」というヒエラルキーしか知りませんでした。で、「出世っていうのは、ヒエラルキーのピラミッドを登っていくことなのかなあ」と思っていたわけです。で、博士をとって、まったく別の国で研究プロジェクトに参加してみて、いままで知らなかったことに気付いたのです。たとえば、日本の光学の世界で大先生みたいに言われていて、無限の政治力を手にしているような人でも、例えばドイツの光学界では、何の権力も持っていません。当然と言えば当然ですが。日本が技術的に遅れているとか、そういう話ではないですよ。単純に権力の話。なんか、どうやら、ヒエラルキーって、いっぱいあるんですよ。並列に。同じようなヒエラルキーがわんさと。

 でも、これって、ちょっと考えると、変じゃないですか?ヒエラルキーって、頂点が一つだからヒエラルキーなんだと思うんですよ。頂点が一つだからヒエラルキーを『登る』ことが出来るというか。それがいくつもあったら、すでにトップもなにも無いじゃないですが。ヒエラルキーAのトップとヒエラルキーBのトップって、どっちが上の立場なの?みたいに。

 かっこよく言えば、この事に気付いた(実感した)ことは、物の見方の次元の超越だったんだと思います。今までは一枚の紙の上にヒエラルキーの図を描いて、その「上」を目指そうとしていた。そんな人が、机の上に、そのヒエラルキー図を何枚も、しかも、いろんな方向を向けて並べられて、で、それを上から眺めているような。で、聞かれるんですよ「これ、どっちが上だと思う?」って。上もくそもないでしょう。だって、みんな平らな机の上の話。ヒエラルキーAの「上」は「右」向いてるし、ヒエラルキーBの「上」は「左」向いてるわけです。それは、もはや「右」と「左」であって、「上」でも「下」でも無いわけです。しいて言えば、それを上から俯瞰している自分が「上」?みたいな感じです[3]。

 この着想を得た瞬間、「自分は無敵だ!」と思いました。いや、今でも思っています。だって、上も下もなければ、勝ちも負けもないわけで。負けたくても負けられない。生涯負けられない=無敵ですわ[4]。まあ、そこから逆に、友人をして「出世街道を逆走している」という僕のキャリアがスタートするわけですが。でも、自分としては逆走るつもりはありません。自分が自分で決めた「上」という相対的な場所をめざして進んでいるつもりです。(まあ、よくその「上」の場所が変わるのは問題かもしれませんが…)

 でも、僕の周りを見ていると、「ヒエラルキーの頂点」をめざしている人って、結構多いんですよ。優秀な人に特に多いように感じます[5]。ヒエラルキーの頂点って何があるんでしょうか?一つは、そこに登ってみないと見えない景色というのが、あると思います。でも、それは、ヒエラルキーを机に並べて眺めてしまった時点で、意味がなくなってしまうものだとは思うのですが。でも、まあ、一回ためして見ないとわからないものなのかもしれません。で、もう一つは、いわゆる「権力」というものなのかなあ、と思うのです。

 「権力」って、何なんでしょうか?たとえば、気に入らない人間を「干す」ことが出来たら、それは権力ってことでしょうか?指先を動かすだけで人が動けば、それが権力?まあ、僕自身は、そうじゃないかなあ、と考えてきました。でも、実際にそんなことってあるのでしょうか?あるヒエラルキーのトップは、気に入らない人間を、そのヒエラルキーからはじき出す(干す)ことが出来るかもしれません。で?多分その人は別のヒエラルキー移るでしょう。それだけ。例えば僕が光学アカデミズムから干されたら眼科アカデミズムに移るし、そこでも干されたら、産業界のヒエラルキーに移ることもできる。そこでも干されたら…コンビニでバイトしながら「バイトから社長」をめざせばいいのでは?と、思ったりするわけです。生きてくだけなら、なんとでもなるでしょ。自分の目指す「上」は自分で好きに決めちゃえるんだから。

立ち悪いですね。こういう奴って、干しようがないですよ。まさに無敵。そして、この程度の発送の転換をするだけで、権力やヒエラルキーは崩壊してしまうのではないか、と。そういう風に思うのです。

 でも実際、歴史的に、極めて大きなヒエラルキーが築かれた時期は、確かにあります。まだ、ほんの少し前の話。僕たちのおじいちゃんどうしが戦争をしていたころの話です。日本もドイツも、アジアやヨーロッパに巨大なヒエラルキーを作ろうとしました。たくさんの人たちが殺されたし、いまでもそれで悲しんでいる人、苦しんでいる人がいます。でも、それで実際に、永遠に続く巨大なヒエラルキーは築かれたのでしょうか?いや、その巨大なヒエラルキーって、一体なんだったのでしょうか?机の上の紙の例えに戻るなら、それは、A0ぐらいの大きさの紙にかかれた、死ぬほど大きなヒエラルキーなのでしょう。でも、どんな大きなヒエラルキーでも、それを上から眺めることによって、急に色あせてしまいます。人は、どんなことをしても、人を支配することはできない。と、思うのです。

 僕は、権力が好きです。別の言い方をすれば、影響力というか。そういうのを手に入れるのが大好きなのです。それが、まあ、ある意味僕のモチベーションになっています。でも、こうやって考えてくると、「権力」や「ヒエラルキー」は急速に色あせてしまう。でも、僕の考えている権力、「僕の好きな権力」は色あせないんですね。なんか、ヒエラルキーを超越した権力っていうか。それって一体、なんなのでしょうか。

 また、ちょっと話がかわります。今いっしょに仕事をしているお医者さんの中に、かなり変わった人がいるのです。どう変わっているかと言うと「生体コヒーレンス」という概念に熱中しているんですね。「生体コヒーレンス」。聞いたことあります?僕は、その人に会って始めて聞きました。まあ、人が生物として機能するメカニズムを理解するためのアイディアの一つなんだと思います。僕もよくわかってないですけど、どうやら、「体の各部分、各細胞は、互いにゆるく何か共通の『場』のようなものの影響を受けている」ということらしいです。

 僕なりに言い換えてみると「体を構成する細胞は、いろんな話を聞きながら、なんとなく、みんながその気になって、ちょっとずつ協力することで全体として大きな仕事をする」みたいなことじゃないかなあ、と思います。つまり、細胞一個一個は、「脳に命令されてる」のではなくて、基本的に、好き勝手やってるわけです。で、そのなかで、たまに、ちょっと周りにあわせて動いてみたりする。細胞本人が意識するしないにかかわらず。でも、そのちょっとの動きのタイミングがまわりとそろったりすると、結果として何か大きい仕事ができる。と。そういうことじゃないかなあ、と思います。さらに思うのは、脳自信も、実は、自分の出した指令でなにが起こるのか、わかってないんじゃないかなあ、ということです。だって、脳にできるのは、なんとなくな「場」(雰囲気?)をちょっと変えてみることだけなわけですから。さらにいえば、脳がどう判断するのか、ってことすら、脳以外の細胞たちが分泌したホルモンで、なんとな~く揺らいでいるわけです。

 実は、この「なんとな~く」って僕の考えている権力そのものじゃないかなあ、と思います。

ちょっとずれますが、僕の権力志向の原点は、たんなる「目立ちたがり屋」じゃないかと思うのです。人目につきたい、人に話を聞いて欲しい。しゃべって、しゃべって、しゃべって、しゃべりまくって。実際、子供の頃、「こんな良くしゃべる子供、将来どんな大人になるの?」と、母親に言われてしまったこともあります。(こんな大人になりました♪)

 そして、目立って、しゃべって、逆に、いろんな人の話しも聞いて。そうこうしているうちに、たくさんの人たちが、僕の考えていることに、なんとな~く、影響を受けるのじゃないかと、そして、僕自身も、たくさんの人たちから、なんとな~く影響を受けてるのじゃないかと。そして、その なんとな~く の影響そのものが、実は権力ではないかと思うのです。

 もちろん、この方法では人を支配することはできません。でも、なんとな~く影響を受けたり与えたりってのは、実は、数少ない、ヒエラルキーを超越した力なんじゃないかな、と思うのです。

 また話は変わります。先週、と、ある用事で韓国に行きました。そこで光州科学技術院(GIST)の学生達(僕と同世代です)と飲んで話して話して話す機会がありました。たくさんの学生たちが僕と同じ分野で研究をしています。ゆっくり話をしたのは今回が初めてだったけれど、いままでも実は、論文や学会で互いのやってる仕事、技術を知ってるんですね。で、互いの作った技術を真似したり真似されたり、肯定したり否定したりしながら、みんなで「いい光断層装置」を作っていくわけです。それまで彼らと多くを話したことはなかったけれど、僕たちはすでに互いに影響しあっていたわけです。「論文」という「言葉」を通じて。

僕たちCOGがしてきた仕事は彼らに影響を与えていたし、彼らの仕事は僕たちに影響を与えていました。それは技術だけに限ったことではなくて。自分たちがどの分野を学ぶかとか、どの道に進むかとか、結局は、どう生きていくのか、とか。僕たちは住んでいる国も違うし、互いに違うヒエラルキーの中にいるはずなのに、影響しあっていた、と、いうことだと思います。

こなんな「なんとな~く」な影響力では誰かに命令することもできないし、誰かを意のままに動かすこともできないし、それどころか、自分が逆に影響を受けちゃったりもするのですが、でも、それこそが、「僕の好きな権力」なのかなあ、と、そういう風に思うのです。

 そろそろ散らかした話をつなげて行きましょう。

アジアの「経済・通貨の統一」とか「統一政府の樹立」って、ほんとに必要なのでしょうか?必要なのかもしれませんし、必要ないのかもしれません。

 たとえば、じゃあ、統一政府を樹立したとして、その次にあるのは?言語の統一?生活様式の統一?愛国心の統一?それって、どこかで聞いたことありますよ。ついこないだまで、僕の生まれた、そして、いま住んでいる国がやろうとしていたことです。でも、それって、結局みんなを幸せにしたのでしょうか?まあ、普通に考えればしてないでしょ。僕自身も、してないと思います。実際、未だに、その時代に日本がしたことのせいで苦しんでいる人はたくさんいます。

 じゃあ、僕たちは、言葉や生活を共有することはできないのでしょうか?

先週、僕が光州科学院の同世代の人たちと呑んでた時、別に言葉の不自由感じませんでしたよ。だって、みんな英語しゃべれるし。学生の中には、日本語知ってる人もいたし、僕も子供の頃、ちょっとだけ韓国語勉強したことあるし。

食事にも生活にも困りませんでしたよ。普段から日本で韓国料理食べること多いし。韓国でも日本でもいたるところにロッテリアあるし。コンビにだってあるし。同じようなものを売ってるし。呑んで盛り上がってくると、同じアニメの話に花が咲くし。なにより、今のままでだって、僕たちはエンジニアとして、同じ技術の基盤を共有して対等に話をすることができます。なんか、もう、これでよくね?

 繰り返しになりますが、通貨の統一とか、統一政府の樹立とか、必要で無いかもしれないし、必要なのかもしれません。でも、それは、結局、それぞれの人と人の互いの影響と信頼が発展した結果でしかないのではないでしょうか。ヨーロッパにユーロが導入されたから、ドイツとフランスが和解したわけではないでしょう。互いにたくさんいろんなことを感じて、話し合って、影響を受けあって、それで初めて「俺ら、通貨統合してもよくね?」となったんじゃないかなあと、思います。「フランスの中央銀行とドイツの中央銀行、統一してよくね?ヨーロッパの統一中央銀行、別にフランクフルト(ドイツ)でよくね?」と[6]。

 将来、アジアは、互いにもっと近づいていくと思います。でも、それは、どこか、だれか、強い国や人が、力ずくでやることではないのではないかと思います。たとえそれが正義感なんかからくるのだとしても。ヒエラルキーの中で発せられた言葉は、そのヒエラルキーの中でしか響かない、ということかなあと思います。

じゃあ、どうしてアジアの国は、人は、互いに近づいていくのか?それは、「僕がそういうから」なのです。

エンジニアとして、いろんな国のエンジニアとたくさん話をして僕が思うこと、それは「アジアの人たちは、少なくとも、僕たちアジアのエンジニアの間の距離は、近い将来にもっともっと近づく」ということです。確実に近づきます。もっと近づきます。もっと近づく、もっと近づく、もっと近づく、もっと近づく。ね、なんとなく、そうなる気がしてきたでしょ?根拠なんてなにもなくても。それが僕の持っている権力。

なんとな~く、人を動かすことのできる力です。

2007/12/09
Joschi

最後に:かつて、この「なんとな~くな権力」を、意図的に利用して巨大なヒエラルキーを作った国、作った人たちがいました。真理は、それを手に入れようと組織を作った時点で真理ではなくなってしまう。クリシュナムルティーも言っていました。なんとな~くな権力は、無力だからこそ権力なのです。

[1] 三重(すくなくとも津)の子供言葉で「非常に」の意味。個人的に勝手に「滅去」の字をあてたりしています。(意外と本当に仏教の経典かなにかが語源なのかも…)
[2] まあ、それぐらい近い存在だから何度も戦争したのでしょうが…
[3] 実際は、この三次元空間での「上」を内包する四次元空間を仮定した時点で、この「三次元内部の上」の概念も消失してしまうわけですが。この入れ子状の相対的な構造が、また、面白く、そしてなんだか幸せな気分にさせてくれますね。
[4] なんか阿Q聖伝みたいですね…
[5] この人たち、ほんとは気付いてるんだろうなー、と思うこともあります。なんせ、ヒエラルキーの相対化なんて、僕でも気付くことですから。でも、まあ、頭のいい人たちにとっては暇つぶし程度なのかもしれません。ヒエラルキーの「はしっこ」をめざすなんて。僕がこのブログを書いてるようなもんですね。(←実は、この一言、今回の記事の本質なのですが、それはこの記事を最後まで読んで感じてみてください。)
[6] まあ、当然、細かい権力バランスとか、経済的な理由とかあるのでしょうが、でも、意外とそれって、人の気持ちの流れのつじつまを合わせるための技術にしかすぎない気がします。だって、経済のことを考えるなら、なんで、ドイツってあそこまで劇的で、負担の大きい再統一を行ったのでしょうか。

2007年11月26日月曜日

カメとアリ vs ウサギとキリギリス

最近また、ジョギングを始めました。仕事柄、普通に生活していると全く体を動かさないんです。で、なんか最近、あからさまに体力が落ちてきて、仕事の持久力もつられて落ちてきて、どうしもなくなってきたんですね。で、まあ、このままでは、やばい。と。

昔は毎日走ってたんですよ。なんとなく。まあ、若かったんでしょうね。元気が有り余っていたというか。元気は有り余ってるのに、何していいかわかんなかったし。まあ、暇にまかせてぐるぐるぐるぐるやっているハムスターみたいなもんです。

で、一月ほど前にジョギングを再開して、それからしばらくして気付いたんです。ジーンズがきつくなってきたんですよ。ゆるくじゃなくて。きつく。

でも、ウェストが、じゃないですよ。ふくらはぎのところです。ジーンズを脱ごうとすると、引っかかるんです。ふくらはぎに。太くなってるんですね。そう、そういえば、そうなんですよ。思い返してみると、昔、毎日走ってたころも、ふくらはぎ、めちゃめちゃ太かったんです。

ほら、ガンダム(初代)の足って、ふくらはぎの後ろに、ぼこっ!となんかついてるじゃないですか。プラモ作ったことのある人は知ってると思うんですが。なんか、ついてるんですよ。ぼこっと。あれ、筋肉なんですね。毎日てくてく走ってると、ああいう風に、ぼこってつくんですよ。みんなで温泉に行ったりすると「安野、そのふくらはぎ、おかしくねえ?」って言われるくらい、ついてたんです。昔は。他には筋肉ついてないのに、ふくらはぎと太ももだけ。

そんなふくらはぎも、今の怠惰な生活の中でいつの間にか、ほっそりした普通のふくらはぎになっていたわけです。

でも、最近、ジョギングを再開して、また、ぼこっとなってきたんですよ。ガンダム脚。別に筋トレも何もやってなくて、ただ、毎日淡々と(しかもかなりスローペースで)走ってるだけなんですが。でも、まあ、仕事の忙しかった日も、疲れてる日も、出張帰りも、一杯呑むのを我慢して帰ってジョギング。それからやっと、発泡酒(糖質オフ)です。

別にすごいことはしてないんだけど、毎日毎日やってるわけです。ばかの一つ覚えみたいに。

全然話は変わるのですが、今、出張にきてます。なんか、お医者さんの学会。この学会、自分の中ではかなり実りの多いものでした。最近行き詰まりを感じていた学会パフォーマンスも突破口が見えてきました。そしてなにより、ここ1, 2年、ずっと感じ続けていた、特にこの春あたりから強く感じ続けていた違和感に、かなり劇的な形で回答がでました。なんか、「気付いた」んですね。答えは前から目の前にあったのに、ずっと見えていなくて、それに気付いた、という感じです。

なんか、まあ、どってことはないのですよ。でも、なんか、2年に一回ぐらいあるんですね。こういう事が。「転機」というか、「小悟」というか。悩みの袋小路からの脱出!みたいな。まあ、こうやって袋小路からでてきても、また、すぐに別の袋小路にはまるだけなんですが。それにしても、やっぱり、気持ちのいいものです。なんか、答えに気付いたとたんに、世の中の全てが新しく見えるんですね。なんか、宗教みたいですけど。別に、宗教ではないです。自分、普通に、信仰心の極めて薄い仏教徒ですから。

何に気付いたのか。まあ、うん。非常に説明しにくいのですが、なんとなく、書いてみます。

アリとキリギリスってあるじゃないですか。ウサギとカメでもいいですけど。子供のころに、みんな何度か聞かされた話だと思います。まあ、細かいストーリーの違いはあるけど、どっちの話も「こつこつやってる奴が最後は成功する」って話。これ、子供の頃聞かされた頃にはなんの疑問も持たないんですね。絶対的な正解、という気がするんです。

でも、絶対的な正解、なんてないんですね。大人になってきて、いろんなことがあると、何事にも例外があることに気付くわけです。で、いままで絶対的な正解だと思ってたことが実はそうじゃない、ということに気付くこともあります。で、一つ一つそういう絶対性を否定して、ちょっとづつ頭が良くなっていくわけです。

その「絶対性の解体」、時には行過ぎることって、あるんじゃないでしょうか?頭良すぎる人(正直な表現をすれば中途半端に頭のいい人)に限って、そういうの全部解体して、理解したつもりになってるんじゃないかと。

小学校高学年とか、中学校ぐらいになってくると「要領」という言葉を良くきくようになります。親とか先生とかに言われたりするんでしょうね。「もっと要領よくやりなさい」とか「あの子は一生懸命やってるのに要領が悪いから成績が伸びない」とか。で、高校受験、大学受験なんか、まさに要領競争です。限られた時間で要領よくいろんな知識を手に入れていく。そういう競争ですね。(ちなみに、これ、「知恵」ではなく「知識」ってところ、一つのポイントだと思うのですが、それは、また、そのうち書きます。いつになるかわからないけど)

子供の頃は、アリとかカメとか、要領は悪いけど一生懸命やってたやつが偉かったんですよ。それが、なんか、いつの間にかキリギリスとかウサギとか、そういう要領のいい奴が偉いみたいになっちゃってるんですね。不思議と。ここまで急激な価値観の転換。急に言われれば「え!?昨日といってたことちがうじゃん!」と思うと思うのです。でも、何年もかけてじっくりすりかえられると、気付かないうちに、180度価値観がかわってしまうのだと、そう思うわけです。

子供にはこつこつやれ、大人は要領よくやれ、てなわけです。でも、どこからが子供で、どこからが大人なのでしょうか?別の言いかたすれば、子供ってのは誰からみた子供なのでしょうか?

アリとキリギリスも、ウサギとカメも、こつこつやらないと将来困るよ、って話なわけです。て、ことは、将来のあるやつ=子供、将来のないやつ=大人。ってことだと思うのです。て、ことは…まあ、結局、自分には未来がある!と思ってるうちは、こつこつやるしかないのではないか、と。そんな風におもうのです。

別の例を一つ。M&Aってあるじゃないですか。企業の合併+吸収。まあ、最近はメーカーでもなんでも、無い技術は買ってくればいい、てな感じですね。

実は、ここ数年、大学の研究グループでも、そういう考え方はありなのではないか、と考えていたのです。まあ、技術を買ってくるというよりは、予算を集めて、ごっそり技術のある奴を引き抜いてくるわけですね。それこそグループごと。わりとうまく行くんじゃないか、と。

で、まあ、こそこそいろいろ試してみたんですが…うまくいかないんですよ。自分たちもうまくいかなかったし、他の大学やメーカーがやってるの見ててもダメですね。まず、引き抜くべき人がいません。たいてい、はずれしか見つからなくて終わりです。下手にネームバリューがあるところがそうやって技術屋集めると、さらに悲惨ですね。一応人はあつめられんですが、まあ、そうやって名前であつまる技術屋って、モチベーションも低いし、技術も××なことが多いし。まあ、本当は違うのかもしれませんが、なんか、俺から見ると、一生懸命やってる人は居ないように見えます。全員ではないんでしょうが。集めたほうは人材を集めたつもりなんだろうけど、こっちから見てると、逆に、無知をいいことにたかられてるように見えます。人間って、結構人間を見る目があるのですよ。

結局、いい仕事をしようと思ったら、近道なんてないんですね。自分の手でこつこつこつこつ、積み重ねていかないと。

またちょっと別の話。最近、僕のいるCOGという研究グループも一部のニッチな業界で名が知られてきたようで、たまに、新しいデバイスの評価を頼まれたりもします。こないだも、評価を頼まれた新しいデバイスを使ったOCT装置を作ってました。まず、とりあえず眼底がとれるようになって、感度も 93 dB でてる。そこでやめちゃったんですね。装置の作成を。で、担当者は論文を書き始めたわけです。

でも、理論的に今の構成で出る感度を計算すると、実は、100dB なんですよ。でも、93 dBでやめちゃった。すごくロスがあるのに。-7 dB もロスがあるんですよ。どこかに。でも、突き止めない。

これ、まずいと思うんですよね。だって、こういう仕事して、自分たちの手元に残るのは「感度 100 dB 出るだけの性能を持ったデバイスを使って、確実に 100 dB 出すOCT装置を作る」って技術だけです。それは、自分たちがこつこつ積み重ねて手に入れてきた技術です。人に教えてあげることはできるけれど、その技術を作った、という積み重ねは決して誰に取られることも無いし、どこかに消えてなくなることもありません。

新しいデバイスを使えば、そりゃ、古いデバイスに比べて性能は上がるんですよ。論文も書けるかもしれません。でも、それって、僕たちの成果じゃないでしょう。デバイス作った人たちの成果です。デバイス作った人たちは、こつこつ積み重ねてそのデバイスを作ったのです。だから、そのデバイス作った人たちは、そのデバイスを引っさげて、この先の未来、なんだって出来ます。でも、「感度 100 dB 出せる装置をつかって感度 93 dB の装置を作る技術しか持っていない」僕たちには、未来なんてないのです。

アリが一生懸命デバイスを作るのを、笑いながら見てたキリギリスは、冬になったらどうしようもなくなってしまうのです。

いやですよ。そんなの。で、今はなんとか100 dB だすようにがんばってます。論文になってしまえば、「感度を計測したところ 93 dB であった」と書くか「感度を計測したところ 100 dBであった」と書くかだけの違いです。でも、それが、グループが一歩、一歩だけですが、でも確実に一歩、先に進むかどうか、ということなんだと思います。

またまたちょっと違う話。高知大学に「室戸完歩」というイベントがあります。24時間以上かけて、高知市の高知大学から、室戸岬まで、およそ 100 Km、ただひたすら歩くのです。徒歩で。

10年ほど前、当時高知大学にいた友人に誘われて、僕も歩いたことがあります。ひたすら歩いてると、だんだん絶望してきます。どれだけあるいても、室戸岬なんて、近くもならない。でも、真夜中に、暗い道をとぼとぼ歩きながら思うのです。どんなに理屈をこねても、歩かないと、ゴールしない。結局、自分たちに出来るのは、歩くことだけだなあ、と。

車を使うとか、電車を使うとか、いろいろ近道はあると思います。でも、ゴールしたその後に「俺は歩ききった」と、そういう自信を残してくれるのは、自分で歩いた、という事実だけなんだと思います。別に、自分で歩いたからって、なんの意味もないのですよ。車とか電車のほうが、ずっとスマートで要領のいいやりかたです。でも、それは、「その時早い」というだけで、その後に何も残してくれないと思うのです。

ジョギングだって「今日は仕事がいそがしかった」「今日はちょっと呑んじゃったから」「今日は寒いから体に良くない」とか、いろんな言い訳して、お休みする日があっても、まあ、いいんじゃないかと思います。でも、ふくらはぎが太くなるかどうかは、そんなの関係ないんですね。毎日続けたやつだけが偉いのです。

なんだかんだでいろんなものが無くなっていって、周りにいた人たちがいなくなって、最後に残るには、多分、自分がこつこつやったことだけだと、思ったりもするわけです。

話はだいぶ蛇行しましたが、そろそろまとめ。

今回、お医者さんの学会に出て、そこでの講演をいろいろ聴きました。で、いろんな事を考えました。で、結局、戻ったのは、今まで生きてきた中でも、気がつけば何度も立ち戻っていたウサギとカメの話でした。

なんだか、何年かぶりに、またこの話に戻ってきて、一気に世界が変わってしまったように見えました。今まで迷っていたのが嘘のように、単純にまっすぐな道が見えてきた感じ。

逆に、今まで、ライバルと意識していたいくつかのグループ、なんだかんだで一目置いていた人たち。その中の幾つかのグループ、何人かの人たちは、僕の心のなかで急速に色あせて、ちいさくなって、興味もなくなり、どうでもいい人たちになってしまいました。

でも、まあ、せっかく道が見えてきたので、このまま進んでみようと思います。

残念ながら、何人かのお友達とはここでお別れです。お疲れ様でした。それぞれ自分の信じる道をあるいてください。残りの皆さん、じゃあ、先に進みましょう。

ちなみに、このブログを読んで、「ひょっとして、それって、俺のとことか?」と思っている人。残念ながら、このブログを読んでいるような、そんな素敵なよくわからない人たちは、今後も安野につきまとわれて振り回されると思います。

しばしのご辛抱。

2007/11/25
Joschi

2007年7月31日火曜日

ベンチャーキャピタルから大学へ。直接投資って、どうでしょう。

最近漠然と考えるのですが「大学の研究室にベンチャーキャピタルが出資する」というモデルは、成り立たないでしょうか。よく、大学の研究室で成果がでてくると「次はベンチャーですか?」という話を聞くのですが、本当に必ずしも、そんなものが必要なのでしょうか。

大学での研究がある程度形になった時、ベンチャーで起業したとします。その目的は大きく二つ考えられると思います。

(1) 製品を販売することで技術を広める。
(2) 技術を販売することで技術を広める。

この二つ、ソフトウェアなどを対象技術と考えた場合にはほとんど一致すると思います[1]。しかし、ハードに関する技術の場合、この二つは純然と違った扱いをする必要があるでしょう。なぜなら、(1) には「製造」というプロセスが必須なのに対し(2) にはそれが必要ないからです。

この(1)を考えたとき初めて「大学初ベンチャー」の必要性がでてきます。なぜなら、大学は教育、研究機関です。開発と研究は不可分のものであると考えれば、開発までを大学でカバーすることは可能でしょうし、また、教育面へのリターンも大きいでしょう。しかし、「製造」となると話は違います。施設・人員まで含めて製造ラインを確保・維持する必要があるからです。リスクも当然大きくなりますし、製造ラインを維持することが必ずしも(大学の本務である)教育に直結するとは限りません。

つまり、製造+販売を目的とした場合のみ、ベンチャーの創設というのは意味のある選択なのではないかと思います。

一方、「技術」の販売を考えた場合、ベンチャーの創設はかならずしも必要ないと思います。現時点で(国立)大学は製品を販売する機構は持っていません。また、製造・販売は時として本務(研究・教育)とのコンフリクトも大きいものです。

ところが、その一方で、実は、いまの国立大学、「技術」を販売するルートは持ってるんですね[2]。意外と知られていないのですが。しかも、僕たちのような教員が、大学主体での技術を販売を行った場合、営業、契約、知財など多くの部分で大学のリソースを(格安で)利用することができます。

大学発ベンチャー、とくにその初期の規模でCEO、営業、経理などを個別に雇用する必要のあるだけの仕事が、必ずしも発生するとは限らないでしょう。でも、人は「経理 1/3人」みたいに切り身にして雇用するわけにはいきません。かといって必要な職種を一人ずつ雇ったりしたら組織が無用に大きくなります。なにより、人件費がしゃれになりません。

大学の研究室の予算で年間一億といえばちょっとした額ですが、ちょっとした会社でも年間売り上げ一億っていえば「はあ、意外と売れてるんですね」という規模ですよ。うちの実家の料理屋ですら年間一億以上の売り上げがありました。つぶれましたが。

つまるところ、年間一億ぽっち売り上げても、それで社長、営業、経理なんか、会社を「回す」ためにリソースを裂いていけば、たぶん、開発にかけられる人件費、経費はほとんど残らないと、そういうことだと思うのです。小さい組織が攻撃的に生き残るためにはイノベーションを続けていくしかない、ところが、一旦会社組織なってしまうと、勢力の大半を非イノベーションな部分に裂かれてしまうことになるのではないかと。多分、組織がもっと大きくなると、今度はちゃんと会社組織になっているほうがイノベーションに回せる戦力とその効率は上がると思うのですが、なかなかその閾値を超えるところまではいかないと思うのです[3]。そういう意味で、いま世に出ている大学初ベンチャーのかなりの数は、実際は「大学ベース」でやったほうが効率的だと思うわけです。

もちろん、大学ベースではまだ、いろいろとできないこともあります。なにせ国立大学は所詮文部科学省の飼い犬。独立行政法人だなんだと威勢のいいことを吠えてみたところで、文科省様が骨を投げれば尻尾を振っておいかけます。この悲しい習性のために、時として、びっくりするぐらい非合理的なことをやります。予算が繰り越せなかったり、会計監査にびくびくして無駄金をつかったりします。そしてこれが時には、グループ運営の致命傷になったりもするわけです。でも、まあ、目をつぶって取引するくらいのうまみは、あると思うのです。

こういう風に最近の状況をまとめていて、ふと、あることに思いあたりました。まず、前提として、上に書いたように、大学は儲かります。税金で雇ったリソース使えまくれますし、それでヒリヒリするくらいの研究開発をすれば、そこで揉まれた学生も一線の技術屋としてどんどん育って次の技術(飯の種!)を作っていきます。

こんな金の玉子を産む組織、ほうっておく手はありません。あとは、上に書いた大学の限界を解決すればプラチナの玉子を産んでくれます。じゃあ、どうやってさっきの問題を解決すればいいのか。ベンチャーキャピタルの資金を突っ込んで見るってのはどうでしょう。その資金で学生・ポスドクを雇用し、研究開発を行えば、非税金系の資金ですから、会計監査にどうこう言われる筋合いはありません。投資した資金は技術移転(技術販売)を中心に回収していく。そういうストーリーは考えられないでしょうか。

たしかに、会社組織で大規模にやるよりも売り上げは少なくなるかもしれません。でも、大学の管理組織をうまく利用すればその分の経費が圧縮できます。また、大学の組織が使えない程度のレベル(練度)しかなければ、逆に組織のその部分をベンチャーキャピタル主導で作りかえればいいのではないかと、そう思うのです。

資金運用も財務会計も、これを機に、民間の技術導入して作り変えちゃえばいいのです。大学全部がむりなら、中国の中の香港みたいに特別区にして、ある研究室だけ、ある部署だけ民間ノウハウによる大改編。国立大学って言ったって、すでに独立行政法人。いつまでも文科省は守ってくれないし、あんな何もできないダメ親の顔色なんて見て無くても いいと思うのです。勝手に部分独立です。大学の一部を独立組織に!

あ、これ、大学発ベンチャーか…

いやいや、あくまでも大学の中でやりましょう。だって、本当にやりたいことは、大学からスピンアウトすることではなく、技術の根幹を支える(はずの)大学を作り変えることだからです。

Joschi

[1] 実際には、ソフトウェアの場合は (1) サポートを販売する (2) ソフトを販売する、のように対象が変化するという見方もできると思いますが、それはまた別の話。

[2] ただ、交渉のノウハウが無いので買い叩かれてしまうことは多いようですが…。

[3] 中には、一人でなんでもできてしまう「天才的な若者」っていうのがいて、そういう人間はベンチャーで成功したりするんだと思います。でも、天才的な特異点に依存した組織が大きくなる場合には、その特殊な人材(しかもそれは有限なリソースです)に依存しているということ自体が限界になるのではないかと思います。

2007年7月18日水曜日

非暴力・服従という闘争

僕自身は、正直、今の職場の環境に対して、目くじら立てて騒ぐほどの不満は持っていません。多少の不満はあっても、することしてればきちんと研究はできるし、いろんなことを試してみる自由もあります。

でも、このまま諾々と進めていては、僕のいる大学の組織はいつか死に絶えていくのではないかと、そういうふうには思います。だからやはり、何かを変えていこうという、今の状況に対する闘争は必要だと思うのです。

かといって、学生たち、教員、職員が、てんでばらばらに組織に対して抵抗を始めれば、大学はすぐに死んでしまうかもしれません。(個人的には、そういう混乱から起死回生の策が生まれるという気もしないではないですが、死んでしまうリスクも高いでしょう。)

数年前までは、僕自身、今よりだいぶとんがっていたので、すべてにおいてすべからく暴力・不服従ばりばりの闘争方針でした。(あ、もちろん、実際に殴るわけではなくて、攻撃言論ということですよ)、だんだん年をとってくると、攻撃言論もつらくなってきます。で、最近は闘争方針を非暴力・不服従に変えていこうとしていました。特に言論攻撃を行うわけではなく、納得のいかないことには一切従わないという闘争方針です。

ところが、最近、さらに年をとって、不服従というのも骨が折れるようになってきました。それよりなにより、不服従に一生懸命になっていると、本業の研究開発が進まないのですよ。それで税金を無駄遣いしたりした日にはそれこそ本末転倒です。

それで、最近、新しい闘争形態として「非暴力・服従」というのを考えるようになりました攻撃的な言論・発言もしないし、人のいうことには服従します。じゃあ、なんでそれが闘争なのか。非暴力・服従闘争のポイントは一つだけ。どんなに服従しても「いや、まあ、命令であればやりますけど、自分はそれは間違ってると思いますよー」ということだけは、きちんと表明しようと、そういう闘争です。

最初にも書いたように、今の大学組織が、服従することすら問題なような、そこまでの状況ではないと思うのです。今、眼の前にある問題の数々にしたって「これに服従することで研究・開発ができて、さらに、それによって次の世代の技術屋が育つのであれば、まあ、眼をつぶって取引しようか」という、そういうグレーゾーンなのです。

でも、このまま、いつまでもこのグレーゾーンに続けては、いつかは組織はだめになっていくのではないかと、こうも思うのです。

だから、どんな変な条件にも対しても、それに眼をつぶって取引するのはよくないと思うのです。なので、まあ、半眼をぐらいで取引しようかと。

僕は基本的に利益至上主義なので、目の前にある利益はいただいちゃって、その上で、隙間を埋める闘争を、自分に対して嘘のないように進めていこうかと、こういうことを考えています。

Joschi

2007年6月28日木曜日

メモ:大学人と研究

今日、と、ある学内会議で議論をしていて、次のような感じのことを言われました。(あくまでも「ような感じ」のことであって、そのものずばりの表現ではありません)
「(大学の先生にとっての)研究は、趣味のようなものであって、仕事ではない」そうです。だから、職務遂行のための費用が完全に支給されなくてもしょうがないらしいです。あ、研究は「趣味」なので「職務」ですらないですね。

大学の先生たちはみんないい大学を出て頭がいいので、非常に理にかなった立派な事をおっしゃいます。でも、今の日本の大学がここまで世界からも産業界からも相手にされず、この体たらくに陥っているわけですから、たぶん、その理屈はまちがっている、と、思うのです。どんなに立派に見えても、間違っているのだと。だから、正直、僕は、その理屈のほころびを探すことにも、自分自身が完璧な論理を唱えることにも興味はありません。理屈なんて、なんとでもこねられますから。

だから、大学人にとっての研究が「職務」であるのか「趣味」であるのか、理屈をこねるつもりはありません。僕はただ、単純に、アマチュアと机を並べて仕事をする、今の環境に気持が萎えるのです。

研究が僕のいるこの職場の仕事でないのなら、もっと世間に対してちゃんと宣伝してくれればよかったのに、と思います。「この大学では研究は教員の趣味として行われています」と。

そうすれば、研究をしっかりしたいと思っている学生が間違ってこの大学に入ってくることもありませんし、しっかりとした良い研究をしたいと思っている人間が間違ってこの大学に就職することもないでしょう。

プロ意識のない人間と仕事をすることほど、つまらないことはありません。

Joschi

追記

僕はいままで5年間周りを見てきて、僕の周りの大学の先生たちにプロ意識がないとは思いません。でも、やはり、新人の僕としては、先輩である先生たちに、大学で研究を行うものとして、意地を張ったかっこいい意見を聞かせてほしかった、と思います。

メモ:

最近、このブログ、記事一個一個がインフレ的に長くなるにつれ、更新間隔があくようになってきました。そこで、記事が「記事」としてまとまるまえに、ちょこっ、ちょこっと見たこと、聞いたこと、感じた事を「メモ」として書いていこうと思います。メモで書いたことはそのうち「記事」になるかもしれません。その時、より多角的にものごとがとらえられるように、メモにコメントとかつけてくれると嬉しいです。

Joschi

2007年6月11日月曜日

価値観と階級の崩壊、つまりは h-index と「教授 >> 助手」の話

新しい価値観が生まれると、世界が大きく変わったりするものだと思います。いや、たぶん、より正確に言うなら、客観的な世界そのものが急激に大きく変わるわけではないのでしょう。でも、その世界を認識しているのが人の心で、そして、より本質的な「世界」は、やはり人の心に映る投影だとするならば、新しい価値観は急激に、そしてその本質的な世界を変えていくのでしょう。そして、そういう心象的な世界の変化はゆっくりと、でも確実に物質的な世界を変えていくのではないかなあ、と思います。

以前このブログで Hirsch の h-index というのを紹介しました。「他の論文からどれぐらい自分の論文が引用されているか」という情報を分析することで、研究者の業績を客観的に評価する手法です。この手法、初めて聞いた時は「ああ、こりゃ、頭のいい方法だなあ」ぐらいにしか思わなかったのです。でも、その後いろいろ考えるにつれ、この h-index大学というアカデミズムの階級社会の構造を根本的に書き換えるような、そんなインパクトのあるものではないかなあ、と思うようになりました。

みなさん信じるかどうかは別として、僕の理解では、大学というのは巨大な階級社会です。教授 > 助教授(準教授) > 講師 > 助手(助教)> 学生 という厳然とした階層構造が存在します。いや、別に、「教授の独裁体制がある!」とか「学生が虐げられている!」というわけではないですよ。そういうことも有る所には有るのでしょうが、僕自身は今の職場でそういうのは感じません。ただ、やっぱり、階級社会自体は、厳然とある、と感じるのです。

たとえば、筑波大学の場合、講師と助手の給与体系はほとんど同じです。でも、講師には学長選の投票権があって、助手にはありません。つまり、助手には、自分のボスを選ぶ権利はなく、講師にはあるのです。人にとって、誰を大将とするかってのは、自分自身の尊厳にかかわる大問題です。でも、助手はそれに口さえ出せないのです。

また、教授と助手では出張の宿代なんかも違います。教授の上限のほうが助手のそれより高いのです。ただし、微量。その上限が上がったからと言って、別に一ランク上のホテルに泊まれるってほどではありません。それでも、助手や学生のやる気をそぐには十分です。まあ、僕が勝手に思うに、なんというか、ステータスなんですね。教授 >> 助手、みたいな。

でも、なぜか、大学人というのはこのステータスを目指すのですよ。がんばって出世して最後は名詞に「教授」と書こうと。で、その肩書きを得るためには、いろいろと、納得のいかないこともやらないといけないわけです。やりたくないこと、じゃないですよ。納得のいかないこと、です。

ここ、ちょっとややこしいですが、「やりたくないこと」は、嫌な仕事です。嫌でも、誰かがやらないといけない仕事ってありますし、嫌でもきちんとやらなきゃ自分自身も成長出来ない仕事ってのもあります。そいういうのが「やりたくない仕事」。例えば、自宅の掃除とか…

で、「納得のいかない仕事」は、自分自身は「こんなことをやってはいけない!」と信じている仕事です。たとえば、自分はそうは思ってないのに、国に出す報告書に「ある意味世界一」みたいな事を書いたりする仕事です。他には「大学のこの決定、おかしいでしょ?」と思っても、文句をいわずにそれに従ったりする仕事。

この納得のいかない仕事、僕はほんとに嫌なんですね。まあ、性格が不便にできているんでしょうが、なんど挑戦してもできないのです。だいたい周りと喧嘩になります。でも、そこは大人。そのへん飲み込んでいかないと大学では出世できないのです。僕は基本的に俗人なので、やっぱ、ステータス欲しいです。だから納得のいかない仕事もせざるを得ないのです。得ないのですが…、やっぱいやだ!と、なるわけです。

まあ、安野を知っている人はみんな気づいているでしょうから、ぶっちゃけてしまえば、僕自身「教授」なんて「階級」は全然尊敬していません。もちろん、尊敬している人が教授だった、ということはよくあります。自分が師匠だと認めた人は、たとえそれが教授だろうと、やっぱり尊敬してしまいますし、直接いろんな事を話した人は、たとえそれが教授だろうと、やっぱり、一目おいてしまったりもします。でも、別に教授だからといって人を尊敬することはありません。むしろ、幼少期の教育の賜物で、大学の先生、というだけで「ああ、あの世間知らずなイケてないおじさんね」と、まず自分より一段格下に見てしまうところまであります。これが僕が育った環境「飲み屋街」での大学の先生に対する評価でした。「先生様」「先生様」と言い気にしておけば、すぐに丸めこめる程度の、まあ、何というか、世間で一番騙しやすいうぶな人種です[1]。

だから、矛盾だったのです。自分が働いている世界でステータス築こうとすると、自分が馬鹿にしてる階級にならないといけない、そしてなにより、そのためには「納得のいかない仕事」をしなければならない。いや、むしろ、僕が大学の先生を、大学の先生というだけでまず小馬鹿にしたりするのは、彼らが僕の思う「納得のいかない仕事」をしている人たちだからでしょう。

なんというか、まあ、完全に矛盾・閉塞した状況です。

でも、そんな不便な状況を一気に解決する方法があるのです!それが「ステータスを作っている価値観そのものを書き換える」という方法。大技です。なにせ、ゲームのルールを変えてしまうわけですから。ただし、僕の心の中だけですが。そして、その新しいルールが h-index なわけです。

階層システムの多くは、ある直線的な一本道の価値観を設定することで機能します。だって、一本道で脇道がなければ、自分の前にいる人間の言うこときかなきゃその先に進めないじゃないですか。助教授が助手と喧嘩しても教授にはなれるかもですが、助教授が教授と喧嘩したら教授にはなれません[2]。

まあ、本来、そのこと自体がおかしいのですが。だって、研究者・技術屋としての能力は教授と仲がいいかどうかとは関係ないのですから。でも、そのおかしいところを押さえつけて階層社会を作るにはどうしたらいいのか?それが「抜け道のない一本道の価値観を作ること」です。その価値観の中では、道の前にいる人間は道の後ろにいる人間に対して絶対的な影響力を持つことになります。とうせんぼできますから。しかも、このとうせんぼ機能、それを本人が望む望まないにかかわらず発生します。だから、教授がそんなものを望んでいない場合すら、時としてその階層構造は発生してしまうのです。

では、その「抜け道のない一本道の価値観」に支えられた階級システムを打破するにはどうしたらいいのか?簡単です。「抜け道」を作ればいいのです。抜け道があれば、前にいるやつなんて怖くありません。なにより、道が一本道でなくなった時点で「前」は「前」でなくなり「後」は「後」でなくなります。いや、「前」「後」、「上」「下」という概念自体が消失するのでしょう。

それは、軽薄な一般的な言葉を借りるなら「価値観の多様性」、もっと単純でわかりやすい言葉を選ぶなら「自由」ということだと思います。

そして、僕にその自由を返してくれたのは h-index でした。大学で研究者として成功するためには、別に教授になる必要なんてないのです。だって、そのへんでエヘンエヘンしている教授より高い h-index を獲得すれば、僕の心の中では「俺のがアカデミストとして格上」です。教授の給料なみのお金が欲しけりゃ特許書いて企業に売ればいいのです。名詞に書く肩書きに興味がなければ、これおでおしまい。勝負ありです。

もう、階級なんて怖くありません。納得のいかないことは大きな声で「納得いかねー!」と言えるし、思い切り喧嘩だってできます。生きてるのが楽しくてしかたありません。僕の中の世界では、大学の階級制度は、すでに崩壊したのです。

みんながこんな風に、自分の中に自分の価値観をもって、上目遣いじゃなく生きていくようになれば、一緒に飲みに行って楽しい人間がもっと増えるのになあ、と思ったりもします。

Joschi

[1] 実際にはそのうぶさゆえ、馬鹿にされもすれ、同時に愛されもするのですが、その辺の話は、そのうち、「飲み屋街からみた大学の先生」みたいな話としてまとめてみれたらなあ、と思います。

[2] まあ、これは極論。教授にも懐の深い人はたくさんいて、普通、一回喧嘩したぐらいで教授になれないってことはないです。中には、食ってかかってくる部下が可愛いという懐ブラックホールな教授もいます。

2007年6月4日月曜日

シロとフライパン

最近、ちょっとノイローゼ気味です。なにノイローゼかというと、猫ノイローゼ。

このブログでもちょくちょく話題にしましたが、現在、我が家には一匹の飼い猫がいます。で、最近、それとは別に2匹の白ネコが(勝手に)出入りしているのです。僕の留守中に。
我が家に。まあ、人間の留守中に猫が出入りできるような出入り口のある我が家も我が家なのですが…

この白ネコ(×2)、ちゃんと名前があります。一匹はシロ、もう一匹はフライパンです。シロの方は読んで字の如く、白猫だからシロです。もう一匹の「フライパン」という名前にも、ちゃんと由来があります。こいつ、毎回僕とはち合わせると、なぜかガスコンロの上のフライパンをひっくり返して台所の窓から逃げるんですね。で、フライパンと名付けられました。(ちなみに、こいつ「フライパン」と呼ばれる前は「ブサイク(仮)」と呼ばれていました。)

この2匹の白猫、同じ白猫でもだいぶ性格が違います。シロ(左の写真)は、まあ、紳士なんですね。我が家の唯一な正式な飼い猫(きちぢ)がご飯を食べていても、横から奪うようなことはしません。ちゃんと離れたところで待っていて、きちぢが残すと、その残り物を遠慮がちに食べています。たまにきちぢの不興を買って猫パンチを食らったりもしますが、その時も逆襲したりはせずに、おとなしく一人反省しています。また、普段の態度も堂々としたもので、僕が家にいる時でも、ひょこひょこと上がりこんできて、僕が本を読んでいる横とかで「ごろん!」と腹を見せて横になったりします。ちなみに、このとき、腹をこすってやると非常に喜びます。

で、問題はフライパン(右の写真)のほうなのです。こいつ、態度わるいんですよ。愛想もないし。顔も怖いです。まあ、僕とはちあわせるごとにフライパンをひっくり返して逃げるって時点で印象悪いわけですが、それ以上に、こいつ、まめにマーキングをするのですよ。我が家に。ぴっぴっと。逃げる直前とかに。

これ、目の前でやられると、かなりへこみます。疲れて帰ってきて、猫のおしっこの掃除です。でも、まだ、目の前でやられるのはいい方なのです。だって、そこを掃除すればいいわけですから。問題は、このフライパン、よく僕の知らないあいだにマーキングするということです。我が家に。これ、きついですよ。

一日の仕事が終わって、へとへとへとへと と家に帰ってきて、がちゃっと我が家のドアを開けると、臭いのです。苦いというかなんというか、猫独特の臭さがただよってくるのです。「やられた!」という気分です。家にいたはずのきちぢに「どこにしてった!?」と聞いてみても、きちぢも迷惑そうな顔をして不機嫌になっているだけで、マーキングの位置を教えてくれるわけではありません。しょうがないから自分で探すわけです。帰宅早々。鞄を背負ったまま。ふん!ふん!と鼻を鳴らせながら。家じゅうを嗅いで回るわけです。32歳独身(人間)が。客観的になると、へこみます。で、マーキングの位置を見つけると、さっそく掃除です。帰宅早々。32歳独身(人間)が。

これ、まあ、なんとか2、3回は我慢できます。でも、何度も何度もやられていると、なんだか、精神的に追い込まれてくるのです。普通に家でごろごろしていても、ふといつもと違う匂いが鼻につく(気がする)と「やられた!!」と思います。たとえ実際にはやられていなくても。なんでもかんでもマーキングの臭いのような気がしてくるのです。しまいには家の外だろうがなんだろうが、変なにおいがすると「マーキングされた!」と反応するようになります。職場ですら「あれ!ここ、猫くさい!マーキングされた!」とか反射的に考えてしまうしますです。ちょっとしたノイローゼです。

まあ、ここまで来ると、ちゃんと猫を追い出して根本解決しないと、その後の僕の社会生活にかかわります。ただでさえ社会不適合に片足半つっこんでいるのに、その上猫ノイローゼになった日には…。初対面の人と名刺を交換した直後に「あれ、□□さん、猫くさくないですか?」とか言いだしてしまいそうです。

でも、まあ、その根本解決、白猫に名前付けて楽しい気分になっている時点で、たぶん、できないんだろうなあ、と思うわけですが。

Joschi

2007年5月27日日曜日

声出せ、声! という話

大学院を卒業してからしばらくしたころ、僕はドイツのシュトゥッツガルトに滞在して共焦点顕微鏡のプロジェクトを手伝っていました。この滞在は僕にとって初めてのドイツ訪問であり、また、僕にとって初めての言葉の通じない外国で働くという経験でした。なんとか成果を挙げないといけないというプレッシャーもありましたし、それよりなにより、いろんな事を相談できる相手がいないというのもきつかったのです。そういうストレスでふらふらになりながら、僕が毎晩欠かさなかったのがドイツ語の勉強です。簡単なテキストを、CDを聞きながら、何度も何度も声に出して繰り返し読んでいました。今になって考えると、あのドイツ語の練習が、うまい具合にストレスを減らしてくれていたのかなあと思います。

技術というのは、まだろっこしいものです。技術屋がどんなに「人の役に立つ技術を作ろう」としても、結果的に、それが使えずにストレスを感じて胃に穴があく人もいれば、間違った使い方をして怪我をする人もいます。それどころか事故を起こして死んでしまう人までいます。技術屋は、人を幸せにするような技術を作っていきたいのだけれど、それが本当に人を幸せにするかどうかは、それはまた、別の話なのでしょう。

以前、僕がまだ学生だったころ、自分の実家まわりでいろんなごたごたが起ったことがあります。まあ、事態は当時の僕がどうこうできるレベルを超えてしまっていたので、僕としてはおろおろするばかりです。そんなとき「絶対に人を幸せにできるものってなんだろう」と考えました。で、僕の結論は「歌」と「笑い」でした。まあ、理由は単純。その時僕が「歌」と「笑い」で楽になったからです。辛くて飯も食いたくないような時でも、ちょっと鼻歌を歌うと楽な気分になりますし、笑ってる場合じゃなくても、テレビでお笑い番組でも見てあははと笑うと、だいぶんと楽になったりもするのです。不謹慎で、子供っぽいのでしょうが、事実、そうだったのです。

この「歌」と「笑い」、どうして人を楽にさせるのでしょうか?楽しい歌だから、楽しいネタだから、ではないと思います。だって、悲しい歌でも大声で歌うと楽になるし、人情話みたいな悲しい落語でも、聞けばすこし楽な気分になります。実は、僕、この原因、もっとすごく単純なものではないかと思うのです。それは「声を出す」ということです。

人が死ぬと、お通夜をして、お葬式をします。で、お通夜やお葬式ではお経を詠みます。まあ、このへんは宗教、宗旨、宗派によって違うのでしょうか、大多数の日本の家庭ではお経を読むのではないかと思います。僕これ、不思議だったんですね。人が死んで残された家族は悲しんでいるのに、意味も理解できないお経を延々読まされるわけです。悲しくてそれどころじゃないはずです。

この謎は、僕の祖母のお葬式の時になんとなく氷解しました。あんなに悲しかったのに、お経を声に出して詠んでいると、なんとなく楽な気分になったのです。多分、意味のわからないお経を「声を出して詠む」というのがポイントだったのです。声を出すから、人は楽になるのです。たぶん、お葬式、そしてお経というのは死んだ人のための儀式ではなく、その近くで生きて悲しんでいる人たちを救済する機巧なんだと思います。だから、お経には独特の節が付いているし、だまって「読む」のではなく声に出して「詠む」のでしょう。なんの根拠もない推論ですが、実際に祖母の葬儀の際に僕が楽な気分になったことは確かです。

判ってしまえばからくりは単純です。「声」さえ出せばいいのです。それだけで人は楽になるのです。だからいらいらした時とか「ああ!」とか、意味のない声を出すだけですこし落ち着いたりするのでしょう。僕はやったことないですが、ストレスたまった時とか、大声で叫びながら街中走りまわったら気持ちいいでしょうね。でも、まあ、そこは文明社会、そうそうそんなことするわけにもいきません。替わりに自宅で一人、ぶつぶつ何かを声にだしているだけでもだいぶ気分は楽になったりするのでしょう。でも、まあ、それはそれでやばい風景ですね。気分がすっきりして我に帰った後、またしょげてストレスたまってしまいそうです。無限道です。

で、最初の話に思い当ったわけです。多分、僕がドイツにいたとき、必要に迫られてやっていたドイツ語の勉強が、結局、ストレスのマネージメントになっていたのではないかと。語学の練習は、声を出します。しかも、きちんと大きい声で発声したほうが上達も早いと思います(僕の経験上ですが)。だから、語学の勉強である限り、ひとりで大きな声を出していても、ぜんっぜんやばくないのです!奇声をあげて夜中に町中をはしりまわるのとは大違いです。後で我に返ってしょげることもありません。人に聞かれても「あ、ドイツ語の勉強してた」と言えばいいのです。「熱心だねー」と、むしろ褒められるかもしれません。しかも、語学力が上達するという思わぬメリットまであります。

この方法、かなり使えると思います。たとえば僕たちエンジニアにとって、英語は必要なスキルです。でも、忙しすぎてただでさえストレスたまってるのに、この上英語の勉強なんてやってられっか!と、まあ、普通は思いがちです。でも、英語の勉強がそのままストレス解消になるとしたら話は別です。英語も身についてストレスともおさらば。夢のようです。日々のストレスにさいなまれている皆さん、語学の勉強でもしてみてはどうでしょう?疲れて家に帰ったら、大きな声でテキストの音読です。何もせずに風呂入って寝るよりは、疲れがとれると思いますよ。

Joschi

2007年5月22日火曜日

猫の皿洗い

最近、ちょっと真面目な話題が多かったので、久々にどうでもいい話。

僕は現在猫と二人暮らししています。。同居猫は先日、このブログでシロ猫との浮気を暴露された「きちぢ」です。そのきちぢ、最近その浮気を反省しているようで、だいぶ素行を改めだしました。その証拠に、この猫、ついに僕の留守中に家事をするようになったのです!

話はすこし戻ります。最近おなかの周りの贅肉の気になりだした僕(32歳独身)は、仕事帰りに「高機能体重計」を買ってきました。あの、ほら、足のところに金属の板みたいのがついてて、さらに、グリップ握って、体脂肪率とか骨格筋率とか測定できる体重計です。土浦のイトーヨーカドーで体重計を購入した僕は、お年玉でゲームを買ってきた小学生よろしく、体重計の箱を抱えて嬉々として帰宅しました。そして、おもむろに体重計を箱から出すと颯爽とグリップを握り、自らの体重と体脂肪率を測定したのです。

体重 63 Kg、体脂肪率 22.5%。やや肥満。ショックです。かつては体脂肪率 12% を誇ったわが肉体も、いまやただのおっさんです。しかも、さらにそれに追い打ちをかけるように、僕はある表示に気付きました。「体年齢37歳」。体年齢。その字面から想像するに、「体の年齢」なのでしょう。やっぱり。よりはっきり言えば、自分の体がどれぐらい年をとってるかということなのでしょう。つまり、まあ、なんというか、その、あまり認めたくはないですが、僕の体は37歳なみと、そういうことなのでしょう。安野嘉晃(32歳独身、体年齢37歳)。と、言うことですね。普通にしょげます。

一念発起した私はダイエット+健康的な食生活を決意しました。まず、毎日の晩酌を止めることにしました。これはいまのところ、5日間続いています。知人たちにアル中あつかいされる安野のことですから、これだけでも大したものです。そしてさらに、今回の健康生活のもう一つの柱として「朝食」を据えたのです。

今の生活、まあ、エンジニアの人はわかると思いますが、帰りが遅いです。そして、帰宅してから食事をとっていると、まあ、晩飯食べ終わるのが12時過ぎとか、そういう風に平気でなるわけです。で、今まではそんな状態で酒を飲み、そのまま寝たりするわけですから、朝飯なんて食べる気にはならなかったわけです。朝は胃袋動いてないですから。こんな食生活が健康的であるわけがありません。そこで、こう決めました。晩飯は軽くつまむ程度にして、朝飯を食おうと。この生活、やりはじめて見ると(あたりまえですが)かなり体調がよくなります。いままでサプリメントだ納豆だといろいろ健康に気を使ってみましたが、なんというか、そういう問題ではなかったんですね。結局、食生活の根本がまちがっていたわけです。


で、この朝食、最初のうちはパンとか食べてみたんですが、どうも寝ぼけまなこでパンをモソモソやると、のどが渇いて食べにくいんですね。そこで、小学生だったころを思い出し、コーンフレークを買ってきました。で、当然そこに牛乳をかけて食べるわけです。これ、(あたりまえですが)うまいですね。朝っぱらから喉を通る冷たい牛乳とフレークの歯ごたえが最高です。37歳独身の体にしみわたります。ああ、僕は健康になっていっている、という根拠のない幻想につつまれます。そんなすがすがしい気分なわけですが、所詮は37歳独身、食べ終わると後片付けとかはせずに、お皿をそのままにして毎日職場に出かけていくわけです。

そんな生活を始めて数日たったころ、ふと、あることに気付きました。帰宅して、畳の上に置きっぱなしになってあるフレークのお皿を見ると、なんか、ピカピカになっているのです。まるで誰かが洗ってくれたみたいに。僕は勿論洗っていませんし、僕以外の人間はこの家には入っていないはずです。ふとそばを見ると、猫のきちぢが幸せそうにニコニコこちらを見ています。その時僕はすべてを悟りました。きちぢ!君が皿を洗ってくれたんだね?「にゃー」それを肯定するようにきちぢは小さく鳴きました。

きちぢと暮らし始めて11年、いままで僕が一方的に養うだけで、掃除も洗濯もまったくしてくれなかったきちぢ、そんなきちぢがついに皿洗いをしてくれるようになったのです。ありがとう、きちぢ。なんだか、また一段ときちぢとの距離が近くなった気がしました。きちぢは僕の自慢の猫です。

でも、未だに解決できていない疑問もあります。どうしてきちぢは洗ったさらをわざわざまた畳の上にもどしたのでしょうか?どうしてコーンフレークの皿の横の湯呑は洗ってくれなかったのでしょうか?いや、なにより、それ以後もきちぢが牛乳をかけたコーンフレークの皿「だけ」を洗ってくれるのはなぜでしょうか?

この疑問の解けないうちは、きちぢの洗ってくれた皿も、自分で二度洗いしてから使うようにしています。

Joschi

2007年5月18日金曜日

負けて悔しい話

先日このブログに「負けて嬉しい話」というのを書きました。舌の根も乾かないうちにその逆の話。逆の話なのですが、これも同じ学会(アメリカの眼科科学会 アルボ・ARVO で感じたことです。


日本の科学技術は進んでいます。なにせ科学技術立国ですから。僕が子供の頃(1980年代)は確かにそうだったのかもしれません。まあ、そのころ僕はただのパソコン少年だったので、本当のところはわかりませんが。でも、少なくともそう信じて育ってきました。そのまま大学の工学部に入って、大学院に進みました。そのころもまだ、日本の技術は世界と肩を並べていると思っていました。だって、日本の学会に行くと偉い先生たちがそういうような事を言っていますし。たとえアメリカのグループがいい結果を出していても「独創性では日本の研究の方がすごい」らしいです。それに、アメリカは大国でお金もあるし、人もたくさんいるから、まあ、アメリカの方がすごいのは当然、でも、日本だってそれとタメはっているのです。と、信じていました。

2004年の1月、僕は初めてアメリカ・サンノゼで開催された Photonics West (BiOS) という学会に行きました。そこが、僕たちの研究分野の一番の大イベントの会場だったのです。僕たちはまだ日本の中でも駆け出しのグループで、国内でも無視されているような弱小グループでした。日本には僕たちより偉い「パイオニア」がたくさんいたのです。そんな弱小グループの僕が、サンノゼに行ってみました。行ってみたら、日本人は僕一人でした。日本で有名な「パイオニア」の先生の名前なんて誰も知りません。そして、その学会で発表される結果は技術先進国日本で、えらい大学の先生たちが発表し、そして多くの人たちがそれが世界の最先端であると信じていた技術の遥か先を行くものでした(注1)。ショックでした。悔しかった。日本のグループなんて、はなっから相手にされてないのです。

その学会から帰ってきてから、僕は周りの人間とよくもめるようになりました。僕一人、いつもイラついていたのです。周りに「お前らの信じてる世界は全部うそっぱちだ!世界はずっとずっと先にいってる!」っていっても、誰も信じてはくれないのです。そりゃ、そうです。僕だって、その学会に行く前にそんな「わけのわからないこと」聞かされたら「何いってんの?こいつ」と思うでしょう。だって、日本と世界の差は、普通に想像できる範囲を遙かに超えてたわけですから。

次の年、無理して予算を工面して、スタッフ全員をサンノゼに連れて行きました。そうしたら、僕と同じように「わけのわからないこと」を言う人間が増えました。その後は、辛くもあり、楽しくもある数年でした。そして、やっとこさ最近、この研究分野で、世界の中で日本のグループが認知されるようになってきました。僕たちのグループだけではありません。日本のグループ全体の話です。今年の BiOS では、この研究テーマのセッションの日本のグループからの発表が全体の 10% を超えたそうです。最初の年には話しかけてもろくに相手もしてくれなかったトップグループのリーダーの一人に「ここのところの日本のグループの成長はすごいなあ」と言われました。まだまだ世界に並ぶところまではいってないけれど、それでも凄く嬉しかった。なんだか、僕たちみんなが頑張ったことで、すこし世の中が変わったような、そんな気がしました。それが今年の1月のことです。


その3ヶ月後、僕たちはまたアメリカに行きました。フロリダで行われたアルボ(ARVO)に出るためです。僕たちが今までやってきた研究分野では、日本のグループは健闘していました。まあ、まだ全然勝ててはいませんが、でも、誰も日本のグループを無視したりはしなくなりましたし、きちんと同じ目線で技術の話をしてくれるようになりました。

でも、そこでふと、少し視野を広げて研究分野を見てみたのです。僕は技術屋ですから、眼科の臨床研究じゃなくて、眼科の工学技術の分野です。そこで愕然としました。その視野で見ると、日本はやっぱり、未だ世界に相手にもされてないのです。でも、僕が愕然としたのはそのことではないのです。そんなことはとっくに判っていましたから。僕が愕然としたのは「結局日本の中の世界は3年前と何も変わっていない」という事に気づいたからです。

未だに日本には日本独自の「パイオニア」の偉い先生がいて、みんなそれを信じていて、すごい金額の税金がそこに投入されていきます。でも、一歩世界に出れば、そんな人間、だれも相手にしてないのです。いや、正確には、そんなパイオニアがいることなんて、世界のパイオニアは全く知りません。だって、話にならないのですから。日本の技術は世界の10年近く後ろを歩いているのですから。アメリカのポスドクの一人に「この分野、日本の論文全然でてないね」といったら「オフコース!」と言われました。ショックでした。悔しい。

サンノゼでの悔しさから3年たって、大切なことは結局何も変わっていません。変わったことと言えば、役者がちょっと変わっただけです。研究分野は少しかわったし、それにかかわるグループも変わりました。でも、それだけです。日本は相変わらず「技術立国」のままだし、やっぱり今でも日本には「日本のパイオニア」がいます。


僕は、もう嫌です。こんな状況の中でだくだくと、ゆっくりと、でも確実に死んでいっているような、そんな生き方は、もう嫌です。日本の技術が世界をリードしていると思っている人は、勝手に思っていてください。僕たち COG が フーリエドメイン光コヒーレンストモグラフィー(FD-OCT) のパイオニアだと思っている人がいたら、それは騙されているのです。僕が騙していたのです。今の FD-OCT の基礎を気づいたのは マサチューセッツ総合病院のグループです。今までだましてすいませんでした。でも、これからは、もう、そんな嘘の片棒は担ぎたくありません。

いい加減、眼を覚ましてください。日本の眼科工学は、世界をリードなんてしていません!そんな偉い先生の言う事を信じて大量の税金をそこに投資している人がいたら、逃げずに、きちんと、自分の眼で世界を見に行ってください。僕たちは負けてるのです。しかも、惨敗です。


信じない人は信じなくて結構。現実の外でへなちょこなプライドを満たされたい人は、勝手にやってください。負けた悔しさを感じる感性も鈍らせてしまうようなニヤニヤなパーティーも、大本営発表みたいなシンポジウムも、もうたくさんです。僕はもう、付き合いません。僕はもう一度、一番下から這い上がります。どうせ、守るようなポジションも、人に胸を張れるようなステータスも僕にはありませんから。「成功」が好きな人はご自由に。僕は「成功していく面白さ」は大好きですが「成功」には興味はありません。


Joschi


注1)その先生たちの名誉のために言っておきます。その先生たちは、今思えば、その当時からフェアにきちんと世界の状況を紹介していました。でも、聞いている方が勝手に都合のいいところだけ聞いて、都合の悪いところは耳を塞いでいたのでしょう。だって、その方が気分いいですから。今になると、その時の先生たちの立場、判る気がします。

2007年5月13日日曜日

負けて嬉しい話

僕の働いている大学に MRI の研究をしている先生がいます。何年か前、MRI の基礎を作ったポール・ローターバーとピーター・マンスフィールドがノーベル賞をとった時、その人は自分のオフィスの扉に誇らしげにそのことが描かれた記事のコピーを張っていました。それが僕には理解できなかったのです。だって、もし自分が MRI の研究をしていたとしたら、その人たちは競争相手だったわけです。で、その競争相手がノーベル賞をとったら、僕だったら悔しいだろうなあと思うわけです。まあ、僕が人一倍負けん気が強いというのはありますが。だから、他人、しかも自分の競争相手が賞をとった記事を誇らしげに掲示しているその先生の気持が、やっぱりいまいち、わからなかったのです。


僕がいま従事している研究テーマには世界中にたくさんの競争相手がいます。負けると、それは悔しいです。いや、正確には「負けたと思うこと」が悔しいのかもしれません。だって、別に、誰かが勝ち負け決めるわけではないですから。自分たちのシステムの速度が競争相手より遅かった時、自分たちの作った装置の感度が競争相手より低かった時、自分たちの撮影した画像が競争相手のそれより汚かった時。やっぱり、「負けた」と思うのです。そして、悔しくなります。「次こそは負けたくない!」とか思うのです。こんにゃろー!とか思うのです。

そういう風にして競争を続けいていると、そのうち、競争相手を強く意識するようになります。強く強く意識すると、穴があくほど相手の一挙手一投足を見るようになります。相手が何をやっても気になるんですね。一応言っておくと、ほんとに相手の体の動きをみるわけではないですよ。相手の戦略とか、技術とか、ほんとにぎっちり観察します。相手の出した論文も穴があくほど読みます。また、これが悔しいのです。相手の書いたものを必死に読むことが。自分が負けてる事を真正面から認めてるようで。

そういう怨讐の生活を続けていると、なんだか変な気持になってくるんですね。全然関係ない第三者が、その競争相手のことをしたり顔で語ったりすると、なんか、腹が立つようになるのです。「お前にあいつの何がわかんだよ!」みたいな。多分、相手の書いたものを読み込んだり、相手のちょっとした発言について何日も何日も考えたり、そんなことをしているうちに、自分の生き方がそいつに影響を受け出しているんだと思います。そして、自分の生き方に影響を与える誰かがいるならば、それば、僕はその人を尊敬している、ということなのでしょう。本人には自覚はないんでしょうが。

そうなると今度は、関係ない誰かがそういう相手のことを悪く言うと、逆に腹が立ったりするわけです。自分だって関係ないのに。さらには、自分の人生のなかの大きな決断について、その競争相手に相談したりもするわけです。相手としてはいい迷惑でしょうが。


先日、イギリスのカーディフ大学の ヴォルフガング・ドレクスラー (Wolfgang Drexler)コーガン・アワード (Cogan Award) という賞を受賞しました。眼科学に貢献した40歳以下の研究者に贈られる、なんだかすごく名誉な賞です。このドレクスラー、僕から見ると、競争相手です。向こうは僕なんて眼中にないのでしょうが。何せ、僕たちなんて世界では全くの無名に等しいですから。

そんな競争相手のドレクスラー がそんなすごい賞を受賞しました(僕をさしおいて!)。そして、先日、その受賞記念講演が ARVO(アメリカの視覚眼科学会)の総会の中で、行われました。ドレクスラーが今までの彼の研究と、その中で彼が見てきたことを紹介し終わった時、会場の聴衆は席を立って拍手していました。僕も席を立って拍手していました。

拍手も静かになって、みんなが徐々に帰っていきました。僕はドレクスラーのところまで行って、おめでとうをいって、握手をして、それから帰りました。こんにゃろー!が賞をとったことが、僕は涙が出るほど嬉しかったのです。あんまり嬉しいので、彼の受賞記事、僕たちのオフィスの扉に張ろうかなあ、と、思うぐらいです。

Joschi

2007年5月8日火曜日

民主主義と選挙と多数決の話

僕のいた小学校では、生徒たちの間で意見が分かれると、ほとんどのことを多数決で決めました。今はどうかわからないですけど、少なくとも、僕がランドセルしょって毎日大声で歌を歌いながら通っていた頃はそうでした。たぶん、あれは民主主義教育の一環なんだと思います。で、子供心に「ああ、これが公平に物事を決めるということか」と思っていました。でも同時に、なぜか少数意見をもつことが多かった僕は「公平に決めるってのは、不公平なもんだなあ」と思っていました。だって、どんなに多数決をやっても、自分の意見が通ることなんて全然ないのです。少数意見ですから。ひたすら毎回がまんの日々です。

確かに、多数決をとって多数意見を採用するってのは一見公平です。でも、ここで言う公平というのは「常に多数意見を持っている人は10回中10回意見が通って、常に少数意見を持っている人は10回中10回我慢する」という公平です。あ、いや、別に多数決が不公平だと言っているわけではないのです。実際、ある時は少数意見を持っていた人が、別の議題では多数意見を持つこともあるわけですから。僕が言いたいのは、多数決が「唯一の公平さ」ではないのではないか、ということです。たとえば「多数意見を持っている人も少数意見を持っている人も10回中5回ずつ『公平』に我慢する」というような公平さというのも、あると思うのです。

少し話がかわります。僕の働いている大学ではいろんな事を内部の選挙で決めます。学長を決める選挙、研究科長を決める選挙、専攻長を決める選挙。それぞれ、選挙管理委員が選出され、被選挙人名簿が作成され、必要に応じて立候補が届け出られます。別に選挙事務所が出来るわけでもなく、ポスターが貼られるわけでもなく、街頭演説をするわけでもありませんが、規定に基づいた「選挙のプロセス」が実行された後、最終的には組織の構成メンバーによる投票で当選者が決まります。それは大学運営の民主制という観点から一定の意味のある行為だと思います。

でも、やっぱりここでも僕は「選挙以外にも民主的な方法はあるんじゃないかなあ」と思ったりもします。もちろん、選挙に反対してるわけではないですよ。でも、特に少人数の組織であれば、きちんと話し合うことで選挙にたよらず民主的な決定はできるんじゃないかなあ、とも思いますし、逆に、選挙だって形だけで実行してしまえば非民主的になることもあるんじゃないかなあ、と思うのです。

先日、統一地方選挙というのがありました。僕は仕事の規定上選挙活動に参加することは出来なかったのですが、知人のお父さんがある市議会選に出馬したため、比較的近くで選挙の様子を見聞する機会にめぐまれました。皆さん、「候補者側から見た選挙」というとどういう印象がありますか?僕は正直、具体的なイメージはありませんでした。選挙には誰でも立候補できるといっても、実際には選挙基盤を持ってる人間じゃないと選挙に出ても何も出来ないと思っていましたし、だったら結局、世襲世襲の「議員階級」という社会階級という人達の世界じゃないかと。漠然とそういう事を考えていました。

でも、近くで見た市議会選は違ったんですね。ビラを配るのも友人・知人、ポスター貼るのも友人・知人、選挙カー運転するのも友人・知人。全部手作りなのです。そして、そういう人達と話していると、それぞれが市の政治に対する意見があるんですね。具体的なものから漠然としたものまで、大域的視点から局所的な視点まで。そういうのを見ているうちに「ああ、これが民主主義なのかなあ」と思うようになりました。「投票」という多数決が、ではありません。「それぞれ少しずつ違った意見を持っている人たちが、いろいろな事を話し合って考えながら一緒に政治に介入していく」その過程が民主主義に見えたのです。

たぶん、今まで僕は勘違いしていたんですね。それは「選挙=多数決(投票)」という勘違いです。たしかに多数決・投票という行為は選挙を構成する重要な要素の一つです。でも、それは必ずしも選挙の本質ではないのだと思います。投票に至るまでの過程もすべて含めて選挙なんですね。つまり、選挙というのは多数決よりも上位の概念なわけです。言われてみると当たり前なんですが、なかなかそういう風に考える機会って、なかったんですね。

さらに考えていくと、実は「選挙=民主主義」というのも勘違いであることに気付きます。確かに、選挙は民主主義の実装の一つです。実際に選挙に参加することで人々は自分たちの意見を政治に反映させる権利を手に入れます。つまり、民主的というのは「人々が自分たちの意見を全体の意見に反映させられる状態」の事なのではないかなあ、と思います。そして、自分たちの意見を反映させられるのであれば、別にそれを実行する形は必ずしも「選挙」である必要はないのです。たとえば、仲間 3 人で昼飯を食いに行く時、何を食いに行くかで悩んだら話し合えばいいのです。選挙なんてしなくても、それで民主主義成立です。

たぶん、選挙というのは「大きな人数の組織で効率的に民主主義を実装するための手法」の一つなんですね。だから、やっぱり「選挙 = 民主主義」にはならないのです。民主主義は選挙の上位概念であって、民主主義を実行する方法は、他にもいろいろあるのです。

こうやって順番に考えていくと、民主主義と選挙と多数決の三者関係がはっきりしてきますね。つまり「民主主義 ∋ 選挙 ∋ 多数決」ということです。多数決(投票)は選挙の一部ではあるけれで、選挙の本質は多数決ではないし、選挙は多数決のみによって成り立つわけではありません。そして、選挙は民主的な運営の一つの方法ではありますが、選挙を行うことがすなわち民主主義というわけでもありません。こう書いてしまうと当たり前の結論なんですが、漠然ととらえていると、勘違いしやすいなあ、と思います。実際僕自身も、こういう風に考える前は、たまに見かける乱暴な多数決に対して、どうしてそれに違和感を感じるのか、はっきり説明できませんでした。(まあ、そういう多数決って、だいたいが「昼飯にカレー食うか、うどん食うか」というような、たわいのない話なのですが…)

たぶん、僕たちが一番気をつけないといけないのは、多数決や選挙を行うことで「自動的に民主的になっている」と思い込んでしまうことです。多数決や選挙はうまく使えばいろんなことを民主的に決められます。でも、その前に「本当にこれで民主的なのか?」「ほんとうにこれで公平なのか?」[1] と考えてみる必要があるのではないかと思います。必ずしも多数決=民主主義ではないのです。意外と多くのことは、きちんと全員で話し合うことで多数決にたよらず民主的に解決できるんじゃないかなあ、と、僕は思います。

Joschi

[1] 僕自身は「公平」ということ自体が、実はかなりあいまいなものだと思っています。それは「公平」という概念が特定の、しかも任意な、基準に基づいた相対的な概念でしかないと思うからです。

2007年5月5日土曜日

ダメ人間はゴミを捨てないの法則。そして、ゴミ収集カレンダー RSS のレビュー。

ダメ人間って、どういう人間の事をいうのでしょうか。いや、ほんとに嫌な奴って意味ではなくて、なんとなく、なんとも憎めない愛すべきダメ人間というか、まあ、そういう意味で。どうやら、そういうダメ人間の条件の一つは「ゴミを捨てずに部屋にためこむ人間」のようです。


仕事関係で僕を知っている人は、当然知っているのだと思いますが、僕は大学で教員をやって生計をたてています。ところが、この事、仕事以外の僕の知り合いの間ではあまり知られていません。いや、隠しているわけではないのです。でも、みんなあんまり信じてくれないのです。なにより、みんななんとなく、僕の風貌から、僕が安定収入のある職に就いているとは思っていないようです。いままで勘違いされていた中で一番まともだったのが「自称イラストレーター」と「自称ライター」。さすがに「イラストレーター」は違いますが、「ライター」は当たらずしも遠からずです。論文書くのが仕事ですから。

あと、なかなか卒業できなくて年とった学生だと思われてることもよくあります。「いつ卒業すんの?」と聞かれたり。学会に行ったときに「筑波大で OCT の研究なさってるんですか?じゃあ、安野先生のところの学生さんですか?」と聞かれたこともあります。その時は「あ、まあ、そんなところです」と答えておきました。

こんな風に、いろいろ言われる僕ですが、一番広く信じられているのが「安野フリーター説」です。さすがに 32 歳で一人暮らしですから、仕事はしてると思われてるようです。猫も養わないといけませんし、収入0では生きていけませんから。でも、定職に就いているとも思われていないようです。しかも、その知人たちは漠然とそう思ってるだけではなく、どうやら、信じ込んでいるのです。たぶん、そう信じ込んでる別の誰かから聞いたのでしょう。「そういや、安野君って、仕事なにしてんのかな?」「フリーターでしょ?」とか。「ああ、なるほどねー。それっぽい。それっぽい。」とか。で、真剣な顔で「安野君、もう若くないんだから、そろそろちゃんとした仕事見つけた方がいいよ」と説教されたりするのです。まあ、そう言われて「そうですねー。なんかいい仕事ないですかねー」と本気で転職を思う僕も困ったものなのですが。

どうして僕は三十二にもなって、特に根拠なく、こんな風にみんなに思い込まれているのかと、それで僕は考えてみたわけです。僕の結論は… たぶん、オーラが出てるんですね。ぷらっぷら生きてるオーラが。憎めないけど頼りにもならないオーラが。たぶんうなじのあたりから、ゆらっゆらと、中途半端に灰色とか、そういう頼りない色のオーラが。


先日、高知の友人から「お花見やるよ」と連絡をうけました。ぷらっぷらオーラ全開の僕は即答で「行きます!」と答え電車に飛び乗りました。お花見やると四国から連絡を受け、一も二もなく出かけることも安野フリーター説の原因になっているとは思うのですが、それは、まあ、いいのです。で、そのお花見に行った先の高知で、友人と帯屋町に飲みに行ったのです。で、そこで会った初対面の人と話しているうちに、こう言われました。「あれ?安野君、ひょっとしてダメ人間?」僕「あ、はい、そうです。よく言われます」「ようこそ高知へ!ダメ人間!」と。そしてその後つづけて言われたのです。「とりあえず、ゴミは捨てような」と。

(!!!)びっくりです。確かに、うちの台所にはゴミの日に捨てそびれたビールの空き缶が転がっています。一応ゴミ袋には詰めてありますが、でも、それが4袋も。ただ、そんな話、全然まったくしてないのです。ところがなんか、ばれてるのです。いや、たぶん、ばれているのではないのです。推測されたのです。「ダメ人間はゴミを捨てない」の法則なのです。たぶん、いままで僕が知らなかっただけで、世の中にはそういう真実があるのです。


それをきっかけに僕はダメ人間からの脱出を心にきめました。かなりゆるい決意ですが。で、そのための駄一歩として「ゴミは捨てよう」と決意したのです。ゴミを捨てて身も心も軽やかに、第一宇宙速度[1]を超えてダメ人間から脱出です!

ところが、襟元から灰色のオーラを出し続けている僕にはあいにくと、「ゴミを捨てる」ただこれだけのことが出来ないのです。最大の敵は、(僕にとっては)複雑怪奇なゴミ収集日程です。燃えるごみはまだしも、カンとか、ビンとか、ペットボトルとか、燃えないこいつらを、どのタイミングで出していいいのかわからんということです。「ゴミ収集カレンダー」を見ればわかるのでしょうが、そんなのまめにチェックできるぐらいならハナから灰色のオーラなんて漂わせていないのです!

そんな僕についに救世主が現れました。それが「つくば市ごみ収集カレンダー」の「RSS」です。いやあ、便利に世の中になったものです。ゴミ収集も IT 化の時代です。この RSS、自分の使ってるリーダーに登録しておけば「今日収集予定」を毎日教えてくれるわけです。夜中の12時に更新されますから、寝る前にチェックして、ゴミをまとめて、ゆっくり寝て、翌朝出勤の時にゴミを出していけます。

まだ使い始めて一週間ほどですが、我が家にたまっていたゴミ、だいぶ減りました。この調子でいけば、心も軽く第一宇宙速度を超えられる日も近いでしょう。ただ、問題は第一宇宙速度を超えただけでは、ダメ人間の周りを周回するダメ衛星にしかなれないことですが…。

ダメ人間脱出のための第二宇宙速度[2]への道のりはまだまだ遠いようです。

Joschi

[1] 第一宇宙速度:地球の大気圏から脱出するためにロケットが必要とする打ち上げ速度です。これを超えるとロケットは大気圏を脱出し、衛星軌道に乗ることができます。
[2] 第二宇宙速度:地球の重力を振り切り太陽周回軌道に乗るために必要な速度です。詳しくは、たとえばWikipedia 日本語版の記事参照。

2007年5月3日木曜日

4,500万円で買える物

この原稿、しばらく前に書いたのですが、公開するかしないかかなり悩みました。これを掲載することで、僕自身の立場も悪くなるのかもしれません。でも、昨今の僕か見える風景を「うん!」と感じていると、やはり、誰かが声を出さなければいけないのではないかと思います。この原稿を読んで不快に思う人も多います。僕は、僕の意見がただ一つの正しい意見だとは思いません。もし、この原稿を読んで、途中で不愉快だと思う人がいれば、どうか、その場で読むのをやめてください。もし、最後まで読んでくれた人がいれば、どうか、これをきっかけに考えてみてください。何を考えろというのではなく、いままで自分が考えなかったことを、これを機に考えてみてください。それでは、始めます。



銭ゲバを自称する僕は、なんでもお金に換えて考えます。会議で人を拘束する時間、出張の移動にかかる交通費と時間コスト、スタッフのコミュニケーション量が半分になると年間いくらの損失になるのか?とか。それでは質問、人の命の値段っていくらぐらいでしょうか。

僕はいつも一人頭4,500万円で計算しています。意外と安いですね。でも、まあ、こんなもんですよ。人の命なんて。

昔、僕にとってとても大切だったある人は 4,500万円を工面するために遺書を書いてどこかにいなくなってしまいました。たぶん死んでるでしょうけど、未だに死体は見つかっていません。死ねば保険金でもおりるとおもったのでしょうか。だとしたら浅知恵ですね。失踪は7年しないと死亡認定もされず、保険金もおりないのです。死ぬんだったら見つかるように死なないと。だからその死には何の意味もないのです。意味はないのだけれど「4,500万円のために一人の人間がいなくなった」という事実は変わることはありません。

それ以来、僕の中では、人ひとりの命の値段は4,500万円です。国から研究費が配分されると、すぐに「命」の単位に換算して考えます。一億三千万の予算だったら、人の命およそ3人分です。ほんとのところはわからないけれど、僕の頭の中の世界では、その予算を動かす税金を納めるために3人の人間が死んでいるのです。ちょっと矛盾しているようですが、働けば働くほど赤字になってしまって、結局そのために死んでしまうような、そんな生活をしている人でも、いや、むしろそういう生活している人ほど、たっぷり税金を払うということもあるのです。世の中一筋縄ではいかないのです。

僕たち国立大学で働く技術屋の仕事は、そういう人の命を燃料にして動いているんだと、僕はいつも、そんな窮屈なことを考えています。だからせめて、燃費を上げたいのです。3人の命を燃料にした研究なら、その結果、少なくとも3人の命を救うように。もっとたくさんの人を幸せにするように。たぶん、ただの自己満足なのですが、せめてそれを目標にしたいと思っています。

もし「予算を獲得する」ことが成果だと思っている研究者がいたら、たまには、その予算のもとになっている税金を払うために、自分の命を金に換えている人がいることも考えてあげてください。

たぶん、頭のいい研究者の人たちからみると、ばかな人生に見えるのかもしれません。でも、僕の生きてきた周りには、愚直なまでにまじめで、僕たち研究者を心から信頼してくれて、そのために自分の人生を犠牲にしてでも僕たちを支援してくれているような、そういう人がたくさんいました。僕には、そういう人がばかだとは思えません。

日本は意外と福祉制度が充実していて、いざとなれば生活補助で生きていけます。でも、やっぱり、どんな時でも、そういう支援からもれてしまうような、そういう生活って、あるのです。逃げ道があるのに、それに気付かないぐらい近くしか見えなくなるような、そういうつらさもあるのです。理屈はいろいろあるのでしょうが、つらいものは、つらいのです。

いたずらに予算を獲得することが成果だと思うのは、どうかやめてください。「余った予算を消化する」というような不潔な言葉は、どうか使わないでください。「自分たちが使わなければ他の人間が使うだけ」というような予算があって、そして、自分たちが本当はその予算が必要でないなら、どうかそのお金は使わないでください。みんながそうして使わなければ、最後にはきちんと必要な人に渡るはずです。そうならないかもしれないけれど、あなたが無駄につかってしまったら、その命は、そこで終わるのです。もし予算があまって、全然必要ないものを買うぐらいなら、どうか勇気をもって、その予算を返還してください。ブラックリストに載るかもしれませんが、人の命を浪費するよりはましです。

たくさんの税金を動かしている人たちは、どうかもっと、あなたたちの動かしているお金のことを好きになってあげてください。それは、「予算」という仕事の道具ではなくて、お金という形をした人の命だからです。予算を配分する前に、自分の大切な人が身を粉にして働いて払った税金を、本当にその人たちにあずけていいのかどうか、きちんと考えてください。そして、そのお金を誰かに預けたら、それがきちんと世の中をよくしていくかどうか、最後まで目をそらさないでください。

成果を報告する研究者の人たち。どうか、嘘はやめてください。ほんとは他より劣っている技術しかできていないのに、それをすごいことのように報告するのはやめてください。そんな嘘をついても、人の命は救われません。自分たちが一生懸命働いて、それでもその予算が無駄になってしまったら、その事実をきちんと受け止めてください。そして、次またがんばればいいのです。そのためにも、まず、事実を受け止めてください。

人の命は、お金には換えられません。でも、それが換えられてしまう世界もあるのです。僕たちは人の命を使って仕事をしているのです。

Joschi

2007年5月1日火曜日

研究の成果を評価するという話。もしくは、自分をどう捉えるかという事。

先日、ロフブロウ大学にいったおり、ヨハネス先輩[1] にいい事を教えてもらいました。ヒルシュのh 指数(Hirsch's H-index) [2] という研究者の評価数値です。

研究所や大学において誰か人を雇う時、もしくは誰か人に雇われるとき、みなさんはどのようにして人を評価しているでしょうか?僕の場合、基本的に「やる気」と「人となり」です。何せ僕のいるグループ(Applied Physics Letters (APL)に出した僕たち COGの OCT 論文[3]がそれですね。たとえば Optics Letters (OL) と APL を比べると、APLの方がインパクトファクターは高いのです。でも、OCT関係者はほとんど APL をチェックしてません。逆に、OL はみんなチェックしてます。だから、そのインパクトファクターと違って、OL のほうが APL よりも本当のインパクトも高いし、OCTの 論文を掲載するのも難しいのです。(ちなみに、Optics Express のほうが Optics Letters よりさらに難しいです。インパクトファクターは OL の方が高いけど…。)逆に、誰も見ないようなジャーナルになぜか重要な論文が出版されたりもします。たぶん、投稿時点で世間の先を行きすぎてたんでしょうね…。まあ、そんなこんなで、この「インパクトファクターの合計」も完璧な評価法とは程遠いと思うのです。

他に最近よく使われるのが、「論文の引用数」ですね。さっきのインパクトファクターは、いわば「ジャーナル全体の論文の引用数」(本当はもっと複雑ですが)なわけですが、それよりなにより、直接、評価対象の研究者の書いた論文が何回他の論文から引用されたかを見てみよう、というものです。これ、前の二つよりはずっといいですね。なにより、直接的です。「個人」を評価するわけだから「ジャーナル」という間接指標を介さないほうが、そりゃあ、いいんじゃないかと思います。ただ、この方法、さらに次の疑問を生むことになります。「論文の引用数を、どう評価するの?」ということです。

例えば、論文の引用数を合計するってのはどうでしょう?でも、これだと、1、2本ビッグヒットがあると、それだけで趨勢は決まってしまいます。コンスタントにきちんとした成果を出してるタイプの研究者は低く評価されるんですね。じゃあ、平均の論文引用数はどうか?これだと、同じぐらいの数引用数の多い論文を書いている二人がいて、そのうち一人が引用数の低い論文もいっぱい書いていると、なんと、論文書いてない方がより高く評価されることになるわけです。

で、こんな問題を解決すべく近年注目を集めているのがヒルシュの h 指数 です。この h 指数、非常に単純に、でもパワフルに研究者の成果を評価できる数値指標です。

「その研究者が公刊した論文のうち、被引用数がh以上であるものがh以上あることを満たすような数値」(日本語版 Wikipediaより)

これが h 指標の定義です。たとえば、あなたが 10 回以上引用されてる論文を 10 本以上出版していて、11回以上引用されてる論文を11本出版していなければあなたの h 指数は 10 ということです。単純です。単純だけれど、この h 指数、僕が今まで他の論文評価手法に対して持っていた不満に実に的確に応えてくれるのです。

博士課程の頃、そしてポスドクの頃、僕は「論文数」にこだわっていました。僕が博士をとった分野では「論文数」というのが一番一般的な成果指標だったからです。でも、この「論文数」どんなに稼いでも、世界に出ていくと全く通用しないんですね。もちろん、インパクトの高い論文を数だしてれば世界に通用するわけですが、僕の書いていたようなインパクトの低い論文では、どんなに出してもノイズレベルだったわけです。

で、僕の所属するグループ COG の立ち上げ以降はひたすら論文のインパクトにこだわりました。「インパクトファクター」ではなく、「インパクト」です。「みんながすごいと思う論文を関係者の目につくジャーナルに出版する、そして、インパクトの少ない論文は出さない」という方針です。これはそれなりにうまく行きました。実際、今までのところ、COG の論文出版ペースは、僕が「論文数」にこだわっていたころよりも上がっています。ただ、これ、だいぶ頭打ちになってきているのです。

まあ、技術屋というのはみんなマニアックなところありますから、COG のスタッフの面々、「論文の質」にこだわりだすと、ひたすら作りこみを始めるんですね。論文の。で、一本一本のインパクトは上がっていくのですが、だんだん論文数が頭打ちになっていくのです。

まあ、それでも、論文がひたすら高品質になっていく分にはかまいません。ところが最近は「論文の作りこみすぎ」が問題になりだしたのです。つまり、みんながインパクトの高い論文を狙うあまり、論文一本一本の内容量がインフレを起こしたり、書いている本人の品質評価基準が高くなりすぎてなかなか論文投稿できなかったり、というような問題が起こりだしたのです。いくら COG の目的が「技術開発とそれに従事できる人材育成」であるとはいえ、あくまでも僕たちは大学の中のグループ。やはり論文を出版する必要があります。なにより、論文を出版し続けていかないと面白い技術屋が COG に集まってくることもなくなりますから。そうなると本来の目的である「技術開発」も「人材育成」もうまくいかなくなります。そんなこんなでこの「論文数の頭打」最近、僕の悩みの種だったのです。

事が一人の問題であれば「そろそろ論文数にこだわってみようかな?」「こんどはインパクトかな?」とバランスをとりながら方針を調整することもできそうです。ところが、グループの各メンバー全てを的確なバランスで活発化させようとすると、これがなかなか難しいと思うのです。そのためには、たぶん、的確な指標がいるのです。h 指数は、そういう的確な指標になるのではないかと思います。この指標を最大化しようとしている限り、自然と上に書いたようなバランスを各人が自然にとっていくことになるからです。

評価指標というのは、とにかく大切です。それは評価指標によって人の評価が決まるからではありません。人が評価指標に基づいて動くからです。つまり、評価指標は文字通り人やグループの道「標」(みちしるべ)だと思うのです。

実は、正直な話をすると、最近僕自身、どんな論文を目指せばいいのか、道に迷いだしていました。ひたすらインパクトを狙っていると本当に新しくてリスクのあること出来ないし、かといって誰も読まない論文を量産する気にもなれませんでした。引用数にこだわろうと思ってみても、自分の尊敬する研究者にビッグヒットがなくて、自分が評価していない研究者に1、2本ビッグヒットがあったりすると気持はなえなえです。

h 指標は、そんな道に迷っていた僕に新しい指標を与えてくれました。論文のインパクトと出版数は、きっと両立するのです。でも今まで、それをどういう風にとらえて、これから先何を狙えばいいのか、それがわからなかったのです。h 指標でそれがすっきり見えてきた気がします。自分で自分を、自分が納得できるように定量評価できるようになったわけです。

今現在の僕の h 指標は 7。一年あたりの h 指標の伸び率 (m 値)は 1.0 です。でも、僕の近くにいて、僕がすごいと思ってる人たちには25、26とかいます。僕、まだまだですね。でも、進む道が見えてきてしまえば、自分がまだまだなこともなんとなく、先があるようで楽しい気分になってきます。論文数だ、引用数だ、h 指標だといっても、結局のところ、本当に必世なのは「自分が自分をきちんと評価するための指標」なのかもしれません。

Joschi

[1] ハーバード医科大学院(ハーバード大学医学部の Johannes F. de Boer さんのことです。)
[2] J. E. Hirsch, "An index to quantify an individual's scientific research output," PNAS 102, 16569-16572 (2005)
[3] Y. Yasuno, S. Makita, T. Endo, M. Itoh, T. Yatagai, M. Takahashi, C. Katada, and M. Mutoh, "Polarization-sensitive complex Fourier domain optical coherence tomography for Jones matrix imaging of biological samples," Appl. Phys. Lett. 85, 3023-3025 (2004).

[その他の参考ページ]
[4] h-index at Wikipedia

2007年4月29日日曜日

Review: JabRef

最近はめっきり、図書館に論文をコピーしに行くことはなくなりました。いや、論文、読まなくなったわけじゃないですよ。むしろ昔より読んでます。でも、図書館に出かけて「紙のコピー」をとることって、なくなりましたね。だって、最近は、ほとんどの論文がインターネット経由で PDF でダウンロードできますから。

ある論文を読んでいて、そこで引用している別の論文が気になったら、すぐにネットでダウンロード。論文読む数も増えますし、手持ちの PDF の数も増えていきます。一本の論文から複数の参考文献を引いて、さらにその参考文献から孫引きしていくわけですから、文字通りネズミ算的に増えるわけです。

で、その結果どうなるのかというと…

一、 デスクトップが PDF でいっぱいになる。
二、 しょうがないので一つのフォルダにまとめる。
三、 でも、結局数が多すぎてほしい時にほしい論文が手に入らない。
四、 しょうがないので、またジャーナルのサイトから同じ論文をダウンロードする。
五、 すると今度は、単に無意味に PDF の数が増える
六、 PDF の数が増えたのでさらに論文は見つからなくなる。

まさに六道輪廻。無間道です。そんな僕をニルヴァーナ(涅槃)に導いてくれたのが JabRef でした。

JabRef は GPL というライセンスの下で配布されている Java ベースの文献管理フリーソフトです。論文のタイトル、著者、ジャーナル、ページなどをデータベースとして保存・管理してくれます。また、データベースそのものはは LaTeX という(多くの技術屋が愛して止まない)組版システムで用いられる bibTeX 形式になっています。ですから、あなたが LaTeX で論文を書いているのであれば、各文献につけたタグを自分の原稿に書き込むだけでそのまま参考文献として引用できます。

この JabRef、この手のフリーソフトの常として「開発者=ヘビーユーザー」です。ですから、ユーザーのかゆい所に手が届くようにどんどん改良されていくわけです。どの辺に手が届いているのかというと…

まず、単純な検索式を組み合わせることで、大量の論文の中から素早くほしい論文がみつけられます。さらに、文献と PDF を関連付けることが出来ます。つまり、検索でほしい文献をみつけて、その脇の PDF アイコンをクリックするだけでその文献の PDF ファイルが閲覧できるわけです。(ちなみに、この機能、PDF だけでなく、Word や PowerPoint など、どんなファイル形式に対しても使えるようです。)また、文献とURLを関連付けることもできますから、Optics Express みたいにマルチメディアファイルのついてくるジャーナルは、マルチメディアファイルをURLを登録しておけばすぐにそのファイルのダウンロードページを開くこともできます。

また、論文情報の登録自体がめんどくさい!という人は CiteSeerPubMed などのデータベースから文献情報をインポートすることもできます。(Web of science からインポートできないのは玉に傷ですが…)

そして、なによりも使いやすいのが文献のグルーピングです。各文献を「グループ」に登録することができるのす。たとえば「××論文の参考文献」というグループを作ってそこに××という論文で引用されていた参考文献をすべて登録しておくことができます。で、実際に××を読んでいるときにサクサク引いて内容を確認できるわけです。また、グループは、「フォルダ分け」とは違ってひとつの文献をいくつものグループに登録することができます。ですから、「この文献はどっちのグループに入るの?」と悩む必要はありません。両方に登録すればいいのです。さらに、このグループ化は動的に行うこともできます。例えば「タイトルに OCT とついてる論文」という動的グループを作っておくと、自分でわざわざグループに登録しなくても「タイトルに OCT とついてる論文」は自動的にそのグループに登録されるのです。

僕自身最近では、この JabRef、すでに文献管理を超えた使い方をしています。例えば、自分や同僚が投稿中の論文も登録しています。これをしとけば、外の人間と議論をしているときに、すぐに「未発表」の資料をとりだすことができます。未発表の資料は当然ながらネットで落としてくるわけにいきませんから、これが非常に便利なのです。

また、僕自身が現在レビュアーとして在査読している論文も登録しています。この時、文献情報に peerreview というキーワードを追加しておきます。そして、そのキーワードをもった論文は自動的に「査読中」という動的グループに登録されるにようにしています。

さらに最近では、プロジェクトの資料もこれで集積しています。関連文献はもとより、内部資料(PDF だけでなく、Word や PowerPointなど)、関連したデバイスのカタログ、そのメーカーのURLなんかも「文献」として登録します。で、それを「~プロジェクト」というようなグループに登録してしまうわけです。必要であれば、関連メールなんかもファイルとして保存して、JabRef に登録してしまいます。そのプロジェクトに関する資料は参考文献からスタッフとのやりとりメールにいたるまで、すべて JabRef から閲覧、検索できるわけです。

たぶん、同様のことができるソフトは他にもいろいろあるんだと思います。でも、JabRef はオープンソースでフリーです。さらに、他の大規模なソフトに比べて、コンパクトで単純なソフトです。

僕は、単純なものを色んなふうに工夫して使うのが、面白いなあ、と、思います。

Joschi

2007年4月27日金曜日

隙間から生まれるもの

「逢魔刻(おうまがとき)」というのがありますね。昼と夜の隙間の時間。昼にお夜にも属さないような空白の時間です。そういう空白には、なにか不思議なものが産まれたりもするようです。

技術屋という仕事をしていると「すごいやつ」に出会うことが多々あります。「なんでそんなこと思いつくんだよ!」というようなことをばんばん思いつく人。ああいう人って、どうやってあんな面白いことを考え出すんっでしょうか。先日、イギリスのロフブロウ大学で開かれたホログラフィーと光トモグラフィーの研究会に参加してきました。招待者29人だけの小さな研究会です。そこに、その「すごいやつ」がごろごろしてたのです。

研究会はその29人が順番に自分の研究を発表する形で進められます。ただ、普通の学会とは違って、発表の途中でみんなが意見をつけるんですね。発表している本人が、寝ても覚めてもそのことだけ考えて研究に対して、今日初めてその話を聞いた他人が口をはさむわけです。「質問する」だけではなくてさらに質問をきっかけにして「意見を交換する」のです。その意見交換の中で、その技術に対して新しいことがわかってきたりもします。やってる本人も気づいてなかったような「面白いこと」や「新しいアイディア」が見つかるわけです。

まるっと三日、そんなことをしているうちに「あれ?」と思ったのです。この「面白いこと」、いったい誰が「考え出した」んでしょうか。研究を説明してる本人?それに質問した人?その質問に対して意見を付けた人?僕は質問もしたし、意見もつけたし、その中で「新しいアイディア」にも思い当りました。でも、その新しいアイディアは自分で思いついたわけではないのです。それに関しては自信があります。僕は、そんな面白いアイディア思いつくようなすごいやつではないですから。きっぱりと言い切れます。

ここからは僕の想像なんですが、ほんとに面白いアイディアというのは、人と人のぴったりくっついた隙間から、ひょろりと出てくるんだと思います。だって、一人の個人が一人だけの知恵で思いついたことなんて、所詮その一人を超えることはできないと、やっぱり思うわけです。だからたぶん、研究者には「アイディア豊富な研究者」も「アイディアが乏しい研究者」もいないのです。「アイディアが生まれる隙間」が豊富にある環境と、「アイディアが生まれる隙間がない」ような一人ぼっちの環境があるだけなのです。たぶん。

こういう風に書いてしまうと、人間の創造性を否定しているようで、なんだかつまらないような気がするかも知れません。でも僕は、研究会で出会った人たちとの隙間から、ひょろりと顔をだしてきた、この、「人と人の隙間という『虚(うつろ)』からアイディアという『存在』が生まれる」というこのアイディアに、興奮したりもするわけです。

Joschi

2007年4月22日日曜日

研究室ゼミの功罪

Social bookmark service (SBM) というのがあります。Web site を見ていて、気になるページがあったらそれをオンラインのブックマークに登録。そのブックマークをネット上で公開できる、というやつです。これを使って「研究スタッフの間で文献・技術文書の情報のい共有」ができないか、と考えています。

そもそものきっかけは「研究室ゼミ」でした。担当の学生が論文を一本選んできて、それをみんなに紹介する、というやつです。日本の大学の研究室、特に技術系の研究室では一般におこなわれている勉強会です。その研究室ゼミ、本当に意味があるの?と、ある日思ったのです。その理由は以下のとおり。

まず、論文を紹介する学生自身が必ずしもエキスパートではないこと。研究室ゼミで論文を紹介するのはほとんどの場合学生です。読んでいてい理解できないところもあるでしょうし、それ以上に「間違って理解している」という場合があります。この結果、究室全体のその論文に対する理解はその「間違った理解」で統一されてしまうことになります。各人が直接文献をよめが誰かが気づくことなのに!!

次に、研究室ゼミのせいで逆に「日頃から論文を読む癖」がつきにくいこと。まあ、研究室による差はあると思うのですが、少なくとも僕が学部の4年生の頃、僕も含め同級生たちは「論文はゼミのために読む物」というような理解をしていました。もちろん、本当は、気になった論文はその場で目を通す!が基本なわけですが。気になった事を知ることに、ゼミなんてほんとまったく関係ないのです。

最後に、「ゼミで発表する」ことを意識して「完璧」な論文読解を目指すあまり、論文を読む絶対量が減ること。ゼミ発表用に、「先生にどこを突っ込まれてもいいように」論文を読む、周りに説明できるように「日本語に訳す」こういう重要でない中間目的がどんどん時間を浪費させていきます。「日本語に全文訳」なんてことはさすがにないと思うのですが、英語の論文を日本語で的確に説明できるように準備すること自体、普通に論文を読むのの何倍も時間がかかります。「言葉を理解すること」はその言語圏に住んでいる人間ならだれでもできますが、「言葉を翻訳すること」は素朴な日常では要求されない特殊なスキルなのです。そして、なんだかんだで最終的に「時間がないので論文を読めない」という事態に陥ります。本末転倒です。

そんなわけで、僕たちの研究グループでは「研究室ゼミ」は行っていません。週に一度の進捗報告ミーティングがあるだけです。実際、「研究室ゼミ」を廃止してから、みんな以前よりずっと論文を読むようになりました。学生もスタッフも気になる論文が出たら、たとえアブストだけでも、すぐに目を通します。もちろん、重要な論文はすぐに本分まできちんと読みます。そして、オフィスでの雑談のなかでその論文に対する意見交換をするのです。確かに、一人で読んでいるわけですから誤読もあるわけですが、全員が同じ論文を別個に読み、そして意見交換することでそういう誤読も訂正できるわけです。さらに、新しく研究室に入った学部の4年生は「論文は自分で勝手に読むもの。そうしないと雑談にもついていけない」という常識がすりこまれます。

このゼミ廃止とそのカウンターによる読む文献数の増加、かなりうまくいったのですが、ひとつ問題がみつかりました。一人がたまたま見つけた「その時点で緊急性のない論文」が他のスタッフの目に触れない、という問題です。例えば、誰かが論文誌をぱらぱら見ていて、面白い、でも、今の仕事と直接関係ない論文を見つけたとします。もし、研究室ゼミがあったら、そいういう論文はきっと紹介されるでしょう。だって、他の人はたぶん読んでないわけですから、みんなに「紹介」するにはうってつけです。でも、逆に、ゼミがなければ、そんな論文のこと人にはいわないんですね。わざわざ人を捕まえて教えるほどの緊急性はないわけだし、なにより、人に言う前にわすれてしまうわけです。でも、以外にそういう論文に転機が隠れてたりするわけです。隣の席で座ってるやつの研究テーマを発展させるようなきっかけが。

そんなこんなで、「研究室ゼミ」をやらずに、「より効率的に文献情報を共有するには」ということを考えました。その一つの答えが「social bookmark (SBM)の利用」です。たぶんどこでもそうだと思うのですが、最近は紙の論文誌で論文を探すことなんてありません。論文誌の新しい号が出たら、それを自動配信のメールか RSS の更新で知って、ネット上で目次を読む、というのが普通でしょう。もちろん気になる論文もネットでダウンロードするわけです。

そこで、気になった論文を SBM に登録して公開することを考えました。さらに、研究室の仲間に公開する文献には常に同じ tag をつけるようにします。たとえば MyProfession とか。で、研究室のほかのメンバーは僕 SBM の中の MyProfession tag の RSS を各自の RSS リーダーに登録しておくわけです。これで、僕が見つけた気になる論文は全部研究室の人間の眼にとまることになります。声なんかかけなくても。さらに、はてなブックマークLivedoor clip を使えばブックマーク登録時にコメントを付加できますから、簡単な要約や意見をつけてより強く他のメンバーの気をひくこともできます。それを見たメンバーは、タイトルなり要約なりを見て続きをみることもできますし、しかとするのも自由です。この「しかとできる」というのが重要なのです。相手がしかとできるからこそ、相手の都合も考えず、みつけたものはとにかく知らせられるのです。きまずい思いなしに。また、さらには、「見つけたけどまだ読んでない論文」や、「自分は大して興味ないけど、きょっとしたら別のだれかは興味をしめすかも」という論文を「人目につけさせる」ことができます。そして、これを研究室全体でやることで、文献情報が共有できる、というわけです。また、この方法、RSS リーダーも SBM も、今現在それぞれのメンバーが使っているものをそのまま利用できますから、ユーザートレーニングが不要というメリットがあります。

この「SBM 仮想ゼミ」、実は僕たちの研究グループでもまだ始めてみたところです。はたして効果が出るかでないか、僕としては興味津々です。なにか面白い状況になったら、そのうち報告したいと思います。

Joschi

追記
最近医学部のゼミに参加するようになり「やりようによっては研究室ゼミも有意義なものにできるかも」と思うようになりました。この話はまた後日。

2007年4月18日水曜日

プログラミング言語の躁鬱

今日は、ちょっと躁鬱ぎみの友人の話をしようと思います。といっても、人間の友人ではなく、プログラミング言語くんです。

いろんな言語でプログラムを組んでいると、それぞれの言語・実装に個性…というか「性格」みたいなのがあるなあ、と、思うことがあります。

たとえば、lisp なんか、神経質ですね。芸術家肌です。理想主義者であるがゆえに、生きているのがつらそうです。でも、僕のような人間にはたどり着けない精神的な境地にいるのでしょう。思わず守ってあげたくなります。

逆に Perl なんておおざっぱですね。どんな記述法でもうけいれるし、ちょっとやそっとのことで落ちることもありません。タフなんですね。もしくは、人の言うことなんて聞いていないのでしょう。一見わがままにも聞こえますが、このタフさ、付き合っていると非常に心地良いです。

C は質実剛健ですね。どんな命令にも文句はいいません。ただコツコツこなします。無茶な命令にも黙って従います。その結果システムを不安定にすることがあっても、全く責任は感じないようです。逆に、無茶な命令で自分自身が落ちるようなことがあっても誰を恨んだりもしないようです。ドライです。彼は、多分、職務に忠実なのでしょう。

そんな個性豊かなプログラミング言語の中で、僕が「こいつ、アップダウンはげしいなぁ」と思うのが LabVIEW です。

こいつ、調子のいいときはバリバリ調子がいいのです。のりのりです。こんな精神状態の時はちょっと命令しただけで命令以上の成果をバリバリだしてくれます。躁なんですね。きっと。ところが、大量のメモリを扱う必要がでてきたりしてストレスがたまってくるとだんだんと雲行きが怪しくなります。そして、(多くの場合、メモリが尽き果てて)鬱の状態にはいります。

普通、プログラムはメモリが尽き果てるとあきらめてさっくり落ちてしまうんですね。ところがLabVIEWくんは違います。無理なのがわかっている状況でも、果敢に何とかしようとするのです。ゴリアテにいどむダビデのように勇敢です。でも、やっぱ、無理なものは無理なんですね。ダビデだと思っていたらドンキホーテだった罠です。結局、落ちるものは落ちるのです。問題はその落ち方です。彼はまじめです。いつも、最後の最後までなんとかしようとするのです。そして、その結果、かなりの割合で周りのプロセスを道連れにします。「俺、もう、処理できないよ、どうしよう?どうしよう?もうだめだー」と周りに言ってるのです。(勝手な想像ですが。)たまりませんよ、そんなこと耳の横で聞かされ続けた日には。さっきまで調子のよかった周りのプロセスもだんだん鬱になってきます。そして、結局、周りのプロセスを道連れにして、へたをすると、PC 全体を応答不能にして、それから自分が落ちるのです。まあ、善意でとらえるならば、まじめなんですね。最後まで期待に答えようとしてしまうのでしょう。気持ちはわかるけど、できれば、やめて欲しいものです。

そんな LabVIEW くん、先日、めずらしく非常に思い切りのいい落ち方をしました。僕は巨大な3次元データをメモリに読み込むプログラムを書いたのです。そして、そのプログラムを実行したところ、その瞬間!LabVIEW だけが、まわりを道ずれにせずにスパッと落ちたのです。

なんだかすがすがしい気分の午後でした。

Joschi

2007年4月14日土曜日

技術屋と臨床屋の話

僕達 COG の研究プロジェクトの一つに「Optical Coherence Angiography (OCA)」というのがあります。光コヒーレンストモグラフィー(OCT)の技術を使って、眼底の血管の構造を可視化しようとプロジェクトです。

このプロジェクトの背景には二つの技術があります。一つは蛍光眼底造影。実際に眼科医療の現場で用いられている技術です。まず、静脈から蛍光色素を注入して、その蛍光色素の発する蛍光を撮影します。これによって眼底の血管・循環の様子がわかります。もう一つは Doppler OCT。OCT信号の位相情報を解析することで、血液の「流れ」を可視化する技術です。

この Doppler OCT という技術、「流れ」を検出する技術なのですが「速度」を検出する技術ではないのです。もちろん、流れの速さが速度なわけですから「速度」がわかってもよさそうなものなのですが、実際には「速度」を求めるためには「流れ」の「方向」を正確に知る必要があります。そして、その流れの方向を知るというのは、非常に難しいのです。特に、生きているヒトの眼底では。

この「速度がわからない」という点は、Doppler OCTの大きな欠点の一つでした。実際に、最初のデモンストレーションから10年たった現在に至るも、Doppler OCTの臨床上有効な応用というのは見つかっていないのです。

そこで、僕達が考えたのが「Doppler OCTを(速度を計測することではなく)、血管の形状のコントラストするための機工として使えないか?」というものでした。これが OCA プロジェクトの始まりです。まず、Doppler OCT 信号を的確に処理して表示することで、3次元の血管構造の可視化に成功しました。これに、蛍光眼底造影 (angiography) にあやかって、Doppler OCA という名前をつけました。蛍光眼底造影のように(人によっては強いアレルギー反応の出る)蛍光色素の注入を用いずに、同等の情報が得られる技術、という意味です。

このOCA プロジェクト、エンジニアからの評判は非常にいいのです。3次元で表示された生きたヒトの眼底の血管構造というは、画像として、非常にインパクトがあるのです。ところが、この技術、医療サイドからはなんとも受けが悪いのです。

ちょっと考えてみれば、その理由は簡単なことでした。眼科医は「血管の三次元構造」には興味はないのです。「病気の状態を知る」ことこそ重要なのです。そこがエンジニアの視点から眼科現場をみていた僕達の落とし穴でした。僕達は眼科のお医者さんたちがFA、もしくはICGAと呼ばれる蛍光眼底造影写真を「見ている姿」を見ていました。そして、「ああ、ああいう血管の構造が見てみたいんだな」と勝手に思っていたのです。でも、それが間違いでした。間違いの原因は、僕達は「見ている姿」を見ていたことです。僕達がほんとに見なければならないのは「見ている姿」ではなく「見ている物」つまり、造影写真そのものだったのです。

OCA プロジェクトが始動してしばらくして、僕達は眼科医の先生達と組んで、自分たちの作った装置で実際に自分たちで患者さんの検査を行うようになりました。そうするうちに、今までとは違った見方で物を見るようになったのです。つまり、「見ている姿」を見るのではなく、「見ている物」に興味を持つようになったのです。「ここに映っている過蛍光はいったいなんだろう、この黒く映っている部分にはいったい何があるのだろう」という風に。

そうやって自分たちで蛍光造影写真をみていると、すぐにあることに気づきました。血管の形なんて、実はたいして重要じゃないのです。もっと重要なのは、蛍光色素の時間的な変化や、色素の映り方そのものなのです。こんなこと、実際の臨床現場にいればすぐに気づくことです。でも、気づかなかったのです。エンジニアの僕達には。臨床現場を外から眺めて、暗い実験室の中でまして正常眼だけを計測していた僕達には、まったく見えていなかったことなのです。自分たちでやってみて、初めてわかったことでした。お医者さんから間接的に教えてもらうだけでは、だめだったのです。

僕達 COG が、他のグループに対して持っている一番大きなアドバンテージは、技術そのものではなく「臨床のお医者さんが好き勝手に出入りできる」、この環境です。僕達エンジニアは医師に奉仕する立場でもないし、医師は僕達のためにデータを提供する存在でもありません。技術屋と臨床屋、この二種類の人間が対等に渡り合ってこそ、初めて役に立つものが出来るのではないかと思います。そして、この「対等な渡り合い」が究極的になると「臨床屋と技術屋」という境界は限りなく消滅するはずです。もし、あなたが技術屋で、そうなることを望んでいるけれども「医師免許のない自分は医者にはなれない」と思うのであれば医師免許をとればいいのです。「医師」や「開発職」は職業の名前であって、人間の本質的な区分ではありません。

僕は、技術屋の視点と心を持たない大きな大学病院が行っているような技術開発プロジェクトが成功するとは思いません。でも、それと同時に、臨床屋の視点も心も持たずに進められている工学部主導の医療機器開発プロジェクトが成功するとも思いません。

僕は最近、医工競争という言葉を好んで使います。医と工が互いの領分をまもって協力する「医工連携」ではなく、互いが互いの領分を奪い合うぐらいの気持ちで一緒に働く、切れば地が出るぐらいの「医工競争」です。そうでなけければ本当の協力は生まれないと思うからです。でも、本当は、「医工競争」も、まして「医工連携」もまだまだ不十分なのです。「医」と「工」を区別している時点で。まだ、理想からは程遠いのだと思います。

今、僕達の OCA は、「使えない技術」です。でも、いつまでも使えないわけではありません。なぜなら僕達 COG は、尊敬できる臨床屋と交流することで、臨床屋の視点を手に入れました。そして、今僕達と一緒にがんばっている臨床屋は技術屋の視点を手に入れています。そんな環境の中で OCA はさらに進化を続けています。数年後、この技術が多くの人を失明から救うことができればと思います。

Joschi

2007年4月13日金曜日

博士の異常な愛情の話

半ば趣味的な僕のプロジェクトの一つに「SmartProjection」というのがあります。3次元OCT の撮影結果を精査するためのビュアーの開発プロジェクト。

SmartProjection を作る前は、3DViewer という LabVIEW ベースの自作の簡易プログラムを使っていました。ただ、これ、動作は遅いわ、何も出来ないわで、一緒に仕事をしていたユーザーからも大不評でした。そりゃそうです。何せ、初めて3次元のOCTが撮れるようになった日に、その場しのぎに作ったプログラムですから。

SmartProjection はこの反省を生かし、かつ、開発を始めたときから一緒に仕事をしているお医者さんたちの意見を入れながら作ったプログラムです。また、SmartProjection を作成する頃には僕自身も臨床に興味を持つようになっていましたから、「使う側が快適な」ソフトを目指しています。

こうして説明していると、なんだかユーザーサイドの視点で作ったソフトのようですが、実はこのソフト、新しく身につけた LabVIEW のプログラミングテクニックを試すための実験プロジェクトでもあります。なので、たまに、無駄に内部アーキテクチャの入れ替えをしたり、データのハンドリング方式をかえたりして、外から見えない効率を上げたりするわけです。作りこみ!作りこみ!作りこみ!です。

こういう作りこみ系のバージョンアップ、実は、ユーザーからはあまり受けないんですね。一生懸命内部アーキテクチャを整理しても、使ってるお医者さんからは「ふーん。で?」とか言われてしまうわけです。まあ、そりゃそうです。僕自身も、使ってるソフトのバージョンアップのリリースノートを見て「メモリ効率が最適化されました」とかだけ書いてあると「えー、そんだけー?」と思ったりします。

結局、そういうバージョンアップって、ユーザーからすれば、開発者の自己満足なんですね。(ほんとうは先々効いてくる重要な改良なんですが。)自己満足、それはわかっているのです。でも、開発者としては、手をかけたいのです。手をかけて手をかけて手をかけて、もう、プログラムがかわいくてかわいくてしょうがないのです。「はえば立て、立てば歩めの親心」です。「ああ、今日は、データの読み込みが 5% 早くなったね」、「ああ、今日は内部データの扱いが統一形式になったね」と。もう、かわいくてかわいくてしょうがないのです。このままではヤバイ32歳(独身)です。でも、プログラムって、手をかければ手をかけるほど、しっかりと育っていくのです。かわいいものです。

こうして考えると、物作りは人を育てることに似ています。手をかければ手をかけただけ人は育つものです。でも、それは、いい子いい子の手取り足取りではなく、時に内部のアーキテクチャを全書き換えするくらいの荒療治であり、非効率なルーチンでも、単に取り除くのではなく、何度も何度も実行して非効率な理由を探し出すような気の遠くなるデバッグでもあります。でも、結局言える事は、手をかければ手をかけてだけ人は育つし、プログラムは良くなる、ということではないかなあ、と、思ったりもするわけです。

Joschi

2007年4月11日水曜日

空との距離の話

デジタル・デバイドって、あるじゃないですか。デジタル技術活用できる人と、そうじゃない人で立場に差が出てくるってやつです。僕、自分は、デジタル・デバイドでいえば、「活用できる」側だと思ってました。ファミコンが発売されたのも小学校中学年の時だし、子供の頃から BASIC でプログラム組んでたし。未だにちゃんと最先端を走っていると思っていました。先日、同僚の、と、ある行動に遭遇するまでは。

その日、朝晴れていた空は昼には曇りだし、そして夕方には雨が降り出しました。その日、僕は自転車で職場に来ていました。朝、晴れていましたから。朝晴れているときには、出来る限り車ではなく自転車で通勤するようにしています。メタボ、怖いですから。でも、当然の事ですが、自転車で来ている日には、帰る時の天気が気になります。今の仕事は帰りも遅いし、最近春なのに寒いし。寒い日の雨の夜、ズボンのすそをぬらしながら自転車を押して家路をいそいでいると、本当に、悲しい気持ちになるのです。

雨の夕方が過ぎ、夜遅くなり、そろそろ帰ろうかと思った僕は、自分のデスクのPCの画面を見つめたままで、なにげなく「まだ、雨ふってんのかな?」と言ったのです。特に誰の答えも期待せず。

10秒ほどの沈黙の後、僕の後ろの席に座っている山成君がネットをチェックしながら言ったのです。「衛星写真だと、この辺に雨雲はないですね…」

え?え!えぇ!!衛星写真!? いや、そうか、うん、確かに。衛星写真は現代の天気予報の基本。衛星写真を使うことで現代の天気予報は格段に的中率があがったのです。いわんや、今現在の天気おや。しかも、いまや、衛星写真なんてネットですぐに手に入ります。「衛星写真×今の天気=100% 的中」の方程式です。

でも、僕ならそんな時どうするかなあと。多分、窓の外を見ます。だって、顔をちょっと回せば窓ですから。「窓の外=今の天気」の方程式です。でも、デジタル「使える側」にいたはずの僕の使った方程式は、同じデジタル「使える側」だと思っていた山成君の使った方程式と違ったのです。いや、でも、そういう問題でもなく…。なんというか、僕が言いたいことは、そういうことではないのです。その、あの、えーと…

「窓のそとみりゃいいじゃん!」

そう!これです。いや、確かに、彼の方程式は正解です。衛星写真見りゃ、雨かどうかぐらいわかります。立ち上がって3歩あるきゃ今の天気はわかんじゃん!なんでわざわざ大気圏外まででるんだよ!!宇宙経由ですぐ横の天気確認かよ!

まあ、吠えてみても始まりません。ここで衛星写真じゃなく窓の外を見た僕は、本当はすでにもう、重力に魂を引かれた古い地球人にだったのでしょう。

Joschi

2007年4月8日日曜日

「悪口」と「悪口もどき」の話

『見えないところで友人のことを良く言っている人こそ信頼できる』。フラーという17世紀の神学者の言葉らしいです。まあ、漫画で引用されてたのの再引用ですが[1]。

僕の研究の兄貴分に、いるんですよ。悪口言う人。ある大学の教授なんですが。本人の見えないところで、さらに、本人の目の前でも。でも、彼の言う悪口、なんだか気分がいいんですね。聞いてて、嫌な気がしない悪口なんです。

先週、その先生が筑波に来ました。その時、いっしょに飲みにいったのです。で、やっぱり言うんですよ。悪口。そこにいない人間の悪口も、いる人間(僕!)の悪口も。口が悪いんですね。でも、聞いてて気分がいいんです。なんだか、さわやかな悪口なんです。

それで、なんでかなぁ、と、考えてみたわけです。考えて考えて、一つわかりました。その先生の言う悪口は「人」に対する悪口ではないんですね。「行動」に対する悪口なんです。罪を憎んで人を憎まず、というか。「悪い行い」を批判するんです。でも、「人」の事は決して悪く言わないのです。むしろ、よく聞くと、褒めているのです。好きなんですね。人の事が。どんなに誰かを批判していても、結局その人の事が好きなのではないかと思います。いや、「なのではないかと思います」というよりは、そういう感じが、ふわふわ伝わってくるのです。だから、その先生の口の悪さは、他人のことを言われていても、自分のことを言われていても、聞いていて気持ちがいいんだと思います。悪口のふりをした褒め言葉というか、なんというか。愛情表現なんですね、たぶん。本人は否定すると思いますが。だから、堂々と本人の前でも、当人の悪い点を指摘するんだと思います。愛情表現ですから。影でこそこそやっていても、気持ちは伝わりませんから。まあ、本人はさらに否定すると思いますが。

その先生のそういうところ見ていると、僕なんかは、まだまだダメだなあ、と思います。他人の事悪く思わないようにしていても、ちょっとしたことでダークサイドに落ちてしまいます。人を嫌いになってしまうこともあるし、感じている以上に人の事を悪く言ってしまうこともあります。あとで反省しても、一朝一夕にジェダイに戻れるわけではありません。でも、ちょっとずつ、ちょっとずつ、努力はして行こうと思います。

それで、いつか、僕も、その先生のような『見えないところで聞いてて気分のいい悪口』を言うような『信頼できる人間』になりたいと、本気で思ったりもするわけです。

Joschi

2007年4月5日木曜日

立場がかわりました。実は。

先日 4 月 1 日をもって、僕の筑波大学での立場が替わりました。3月までは「助手」(しかも非常勤)だったのですが、4 月 1 日をもって半常勤の「助教」になりました。「助教」です。「助教授」じゃなくて。わかりにくいですね。

実は、本年度から、国立大の職制がかわったのです。今までの大学は「教授」→「助教授」→「講師」→「助手」、という階級制だったのです。これからは「教授」→「準教授」→「助教」という階級制になります。階級です。やっぱり。そして「助教」というのは、今までの講師と助手を合わせた階級らしいです。筑波大学の場合は助手と講師と助教は、給料が同じです、ちなみに。周りからは「昇進おめでとうございます」と言われるのですが、昇進ではないですね。給料上がらないんですから。まあ、僕の場合は、もともとの助手の契約が今年3月までだったので、助教になれたおかげで首がつながったわけですが。

助教と助手、給料はかわらないのですが、仕事はすこし違うようです。助手はあくまでも「教授の研究の補助」が仕事。「研究」が仕事ではないんですね。一方の助教は「研究と教育」が仕事です。まあ、助手の仕事である「教授」の研究の補助ってのはあまりにも現実を見てない定義だったわけです。だって、研究は助手の仕事で、教授は研究しないですもん。こう言うと教授を非難してるようですが、逆です。教授クラスになったら、研究実務なんてしてないで、ちゃんと組織のオーガナイズをして欲しいのです。それが教授の仕事ですし、劫を経て経験積んだ教授クラスしか出来ない専門職でもあります。一方で研究実務は、若い頭で無茶も出来る助手クラスでないとこなせません。

助教という仕事、僕なりに解釈するに「研究もして、グループのオーガナイズもする」そんなマルチな仕事だと思います。やりがいあります。まあ、最近は体力に限界も感じるわけですが、へとへとになったまだ先に、いままで見れなかった景色があるような気もします。だから、やってみようと思います、助教。

安野を助教にするにあたり、学内ではなかり反対意見もあったようです。安野は研究以外の仕事はしないんじゃないかと。実際いままでしてませんでしたし。だって、それは、最初に依頼をうけた職務ではなかったですから。でも、まあ、自分、仕事だったらなんでもやりますよ。それが正式に職務であれば。給料、それでもらうわけですし。

それになりより、いろいろ一生懸命やった先でしか、新しい景色は見えないとおもいますから。

Joschi

2007年4月1日日曜日

谷田貝豊彦に告ぐ!!!

飛天御剣流という剣術があります。その最終奥義が「天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)」です。この技は師匠から弟子に、最後の最後に継承される技です。そして、この技を継承する方法、それは、弟子がこの技で師匠を倒すことなのです。まあ、漫画の話ですけど[1]。

本日2007年4月1日、COG の母体の一つである筑波大学応用光学研究室の谷田貝豊彦先生が宇都宮大学に移動します。むこうで待っている仕事は、この4月に宇都宮大学に新設された「光学教育センター」を立ち上げ、そして離陸させることです。センター長としての着任です。

僕は、筑波大学応用光学研究室の出身です。1996年、卒業研究の時、この研究室に配属に
なりました。その後、公式には常に応用光学研究室に何らかの席を持ち続けています。その間、電総研(現産総研)、Stuttgart 大学などへ、長期・中期で外に出ていた次期はあります。その間多くの師匠に会いました。でも、やはり、僕にとっての研究の師匠は谷田貝豊彦なのです。

そこから見たら、世の中は、どんな風に見えるのだろう、という場所があります。そういう好奇心を刺激する場所、そして、そんな場所に立っている人たちがいます。。僕にとっては、そこにいる人たちは Hans J. Tiziani[2] であり、Johannes de Boer[3] であり、Wolfgang Drexler[4] であり、そして、何より谷田貝豊彦なのです。

2000年、カナダのケベックで Optics in Computing という国際会議がありました。当時博士課程の学生だった僕は、一人でその会議に出かけたのです。そこには色々な国から研究者が来ていて、僕は挨拶とかしてみたりもするのですが、そこでは僕は「Yasuno」ではなく、「a student of Yatagai」なのです。悔しかったです。僕は「谷田貝の学生」ではなく「安野嘉晃」なのです。日本への帰り道、眠い頭でずっとその事を考えました。そして、日本に帰った僕が最初にしたことは、谷田貝先生のオフィスに出向いて「当分、打倒谷田貝を目標にします」と宣言することでした。谷田貝先生は「なにおう!」と笑っていました。

あれからもう7年のも経つのですが、未だに僕はその目標を達成できないでいます。だから、いまだに、谷田貝豊彦のいる場所から見える世界がどんなものなのか、気になって気になって仕方がないのです。

谷田貝先生の移動が決まってから、およそ2ヶ月、僕はあまりその事を考えないようにしていました。いままでの研究生活、11年、ずっといっしょにやってきたわけですから。やっぱり、なんというか、他に移ってしまうと考えるだけで、しょげてしまうのです。でも、いつまでもしょげててもしょうがないと思うのです。多分、これは、僕にとって最後のチャンスなのです。

筑波大の定年は63歳。谷田貝先生の定年まであと3年でした。それまでになんとか、谷田貝豊彦を超えてみたいと。勝負を始めた頃にはまだまだ時間はあると思っていたのに、最近では、もう、あと3年しかないのかと、あせりだしていました。その矢先の宇都宮大学への移動。宇都宮大学の定年は65歳です。あと3年があと5年に伸びました。延長戦です。そして、僕は、谷田貝豊彦と異なった組織に所属することになります。直接対決です。ついに、この時が来たのです。

それでは師匠、最終奥義の継承をお願いします。

Joschi

[1] 「るろうに剣心」です。
[2] Stuttgart 大学技術光学研究所 前研究所長
[3] Massachusetts General Hospical OCT グループのリーダーの一人です。
[4] Cardiff 大学の OCT グループのリーダーです。

2007年3月31日土曜日

浮気されました。猫に。

履歴書に「家族欄」ってあるじゃないですか。今はもうないのかもしれないけど。まあ、僕が学生の頃にはあったのです。たまにこの家族欄に「名前:安野きちぢ、続柄:妻、職業:猫」って書くことがあったのです。まあ、さすがに、まじめに書かないとまずいやつには書きませんが。

きちぢがうちにやってきたのは、僕が大学4年生の時でした。僕がセガサターンに夢中になっていると、窓の外で「バン!バン!」と音がするのです。見てみると手のひらサイズの子猫が網戸に張り付いていました。それが僕ときちぢのなれそめです。その後 11 年間僕はきちぢを大切にしてきました。いや、僕なりに大切にしてきたつもりでした。それなのに…

先日、仕事が終わり帰宅した僕は、深夜の我が家のドアをあけました。いつもなら きちぢが「にゃー」と鳴いて出迎えてくれます。ところがその日はどうも様子が違うのです。「にゃー」ではなくて「にゃニャー」なのです。文字で伝わりにくいのですが、ハモっているのです。鳴き声が。「は!」っと思った僕はすぐに部屋の電気をつけました。すると、そこには、きちぢと、そして、見知らぬ白猫がいるではないですか。しかも彼(白猫)は眠そうに、きちぢといっしょに、僕の寝室から出てきたのです。

まずいところに居合わせました。たしかに、僕は仕事もいそがしく、休みの日もあまりきちぢをかまってやることができません。そんなきちぢが、つい他の猫が気になってしまう気持ちはわかります。でも、しかし…、いや、なんというか、自宅ではちあわせはまずいです。僕も気まずそうな顔をしたのですが、状況を認識したきちぢも気まずそうな顔をしています。

僕は、見てみ見ぬふりをしようと、ドアを開けっ放しにして、それとなく距離をとりました。白猫が黙って帰れるように、と…。ところが、彼、眠そうに「にゃー」と鳴くだけで、帰るそぶりがないのです。するときちぢが思いもよらぬ行動にでたのです。

「ふーっ!」「しゃっしゃ!」突然、白猫に威嚇をはじめたのです!あたかも、「こいつが勝手に入ってきてこまってるんですよー」という風に。でも、しっぽの毛が逆立ってないのです。猫はほんとに怒るとしっぽの毛、逆立つんですね。でも、きちぢは、体の毛も、しっぽの毛も、ぺたんとしているのです。怒ってないんですよ。ほんとは。ポーズなんです…。ばればれです。白猫は白猫で、「え?なんで俺威嚇されてんの?」って顔でぽかんとしてます。

僕も、もう、32歳。いつまでも子供ではありません。こうなった以上、この状況を受け入れなければなりません。僕はきちぢと白猫に微笑むと、白猫に近づきました。白猫のほうも鼻をくんくんさせながら擦り寄ってきます。僕は白猫をだきあげると、そっと家の外に放してやりました。また、きちぢと遊んでやってね、と。

寂しい気もしますが、いいんです。このことは。きちぢもいつか、僕から巣立つ日がくるのです。ただ、今の問題は、白猫があまりにもかわいく、このままでは白猫まで家族欄に書くはめになってしまいそうなことです。

Joschi

山成君が論文を投稿しました

すこし前の話になりますが、COG の山成君(blog)が論文を投稿しました。タイトルは “Phase retardation measurement of retinal nerve fiber layer by polarization-sensitive spectral-domain optical coherence tomography and scanning laser polarimetry” 。投稿先は Journal of Biomedical Optics です。眼底の視神経乳頭の周りを偏光OCTで撮影して、そこから視神経繊維の厚さを求める方法に関する論文です。さて、無事採択されるでしょうか…

2007年3月30日金曜日

OCTの次の技術は?

光コヒーレンストモグラフィー(OCT)の研究を始めてから、そろそろ 5 年になります。一年位前からたびたび「OCTの次の技術、ポストOCTはどんな技術だと思いますか?」と聞かれるようになりました。最初の頃は、「非線形光学顕微鏡ですかねぇ」とか「音響光学トモグラフィーですかねぇ」とか答えていたのですが、なんだかしっくりきません。なんだかんだで悩んでいたら、最近になって、「ポストOCTはポストOCTでしょう」と思うようになりました。

確かに、利益をあげなくちゃいけない企業の人、公的資金獲得に忙しい大学人・国立研究所の研究者、それぞれが「次の技術の流れはどこにいく?」と気になるのはわかります。先のことは僕だってきになります。「今年はどんな食べものがはやるんだ!?」とか。食べ物です。食べ物。技術じゃなくて。どうして僕が「食べ物の流行」が気になるのか。それは僕が、「食べ物を食べて生きていて、けれども、僕自身は『食』という産業にかかわる人間ではないからだと思います。

人間はだれでも「食」と密接にかかわっています。そして、僕のように「食」の流行に対して決定権のない人間は、誰か別の人間がしかけた流行が気になるのです。逆に僕が外食産業の企画屋だったら、多分「今年は何がはやるか」ではなくて「今年は何をはやらせてやろうか」を考えていると思います。そして、僕がもし単純に食べ物の好きな料理人だったらもっと簡単に考えると思います。つまり、「今年は何がはやるか」ではなくて「もっとおいしい料理をつくるにはどうしたらいいか」と、いうようなことを。

僕は OCT の開発をしています。だから僕にとっての疑問は「次に何が流行るか」=「ポストOCTは何なのか」ではないのです。僕の疑問は「もっとおいしい料理はどうしたらつくれるのか」=「もっといいOCTはどうやったら作れるのか」なのです。そしてそんな風に考えて仕事を進めていくと、いつのまにかだんだんと技術の顔はかわっていきます。10年後、世界中のエンジニアが少しずつ改良を重ねて様子のかわったOCT、それはすでにOCTとは呼ばれていないと思います。そして、今「ポストOCT」を尋ねる人たちはその技術をみて「これがポストOCTですね」というんだと思います。でも、それは、開発に携わっているエンジニアにとっては、やっぱり、「OCT」なのです。

技術の進歩というのは、そういうものじゃないかなあと、最近思うようになりました。

Joschi

2007年3月28日水曜日

僕の一回り

先日のレビューの脱線がきっかけで、ここ10数年、自分が成長したのか、それとも退化したのか悩みだしました。そこで、この問題に決着をつけるべく、今日は、12年前の僕と、今の僕、スコアをつけて定量比較してみたいと思います。

凡例: [12年前] → [現在] = スコア

OS: 端末室のUNIX → Windows XP = ±0 pt

住居: 学生宿舎(月1万)→アパート(月3万300円、共益費込)= +1 pt

暖房器具:ファンヒーター → ストーブ = -1 pt

冷房器具:扇風機 → 扇風機 = ±0 pt

食生活:自炊 → コンビニ = ある意味 -2 pt

貧度:玉子ドーナツが買えずに本気で泣く → とりあえず、食うには困らない = +2 pt

愛車:フランケン号(ゴミ捨て場で集めたパーツで組み立てたママチャリ) → Fit(中古)=+ 3pt

休日:サークル活動 → お囃子 = +1 pt

夏休み:鈍行貧乏旅行 → なし。 = -1 pt

徹夜:友人とゲーム → 無理。 = -2 pt

体力:自転車で夜中に伊勢参(往復100Km)→自転車で土浦往復 = -2 pt

家族: ぶち猫 → 雉猫 = +1 pt (模様がゴージャスなので)

愛読書:ジョジョの奇妙な冒険(第4部)→ スチール・ボール・ラン(ジョジョの奇妙な冒険・第7部)= +3 pt (第7部 - 第4部)

好きなスタンド:キラークイーン(本体:吉良吉影)→キラークイーン(本体:吉良吉影)=±0 pt

以上、合計すると +3 pt。ジョジョの奇妙な冒険が聞いたようです。以上、僕のこの12年での成長は、愛読書がジョジョの奇妙な冒険・第4部から第7部であることがわかりました。成長していたことがわかり、ひとまず安心しました。

Joschi

2007年3月27日火曜日

Review: livedoor Reader

COG の山成君にすすめられて、livedoor Reader (RSSリーダー) を使いだしました(山成君のブログ)。いやはや、便利ですね、これ。今までは FireFox 組み込みの RSS リーダーと WWWC というページ更新チェッカを使っていて、まあ、それなりに満足してました。でも、 livedoor Reader を使い出した今となっては、もう、あの頃にはもどれません。

土曜の昼間には、隣町土浦のドトールの隅っこの席で、おっちゃん・おばちゃんの煙草の煙にまかれながらコツコツ未読記事のチェックをしています。一週間たまった論文誌の記事の要約をチェックをしてると、なんとなく仕事してるような充実した気分ります。まあ、気分だけなんですが。論文自体を読んでるわけではないですから。でも、そのおかげで、週末の夜は安心した気分で泥酔できますし、日曜日は安心して昼まで寝てられます。まあ、目が覚めた後、「このままじゃ俺、ダメになる」と思ったりもするのですが。

話をもどしましょう。この livedoor Reader、更新のチェックから、記事のサマリまで、統一したインタフェースで扱えるというのが便利です。便利なのですが、それに加えて、いや、それ以上にショートカットキーがいい味出してます。便利とか、そういう合理的な話だけではなく、「いい味」だしてるのです。「j」で次の記事、「k」で前の記事。ああ、ぁぁあああ。まるでインターネット黎明期の(テキストベースの)ニュースリーダーのようではないですか。

学生時代、授業が終わると情報処理センターの端末室に直行し、夜10時の閉館時間まで、モノクロCRTのX端末にかじりついて、ニュースグループに目を通したり、UNIXの設定ファイルいじったりしていた頃の記憶が蘇ります。

大学 2 年の秋のことです。情報系の先輩に「www ってのができて、世界中のいろんな機関が公開している画像や情報がたちどころに手に入る」というのを教えてもらいました。そして、早速、StarTreck Next Generations のファンサイトを訪れました。感激しました。それから早くも 13 年。NASA の Gopher[*1] サイトの英語記事を辞書を引き引き読んでいたころから14年です。あの頃も「このままじゃ、俺、ダメになる」と思っていました。

あれ?10年以上たっているわりには、技術も僕も、そんな成長してないような…。まあ、まだ、「ダメに『なった』」わけではないのでよしとしましょう。

Joschi

[*1] 若い衆はしらんと思いますが、テキストベースの www みたいなもんです。参考 [Wikipedia:Gopher]

高侵達眼底 OCT の臨床試験を開始しました

眼底検査装置としての OCT の最初の商業モデルが登場したのは 1996 年でした。その後、計測時間を飛躍的に短縮し、3 次元の眼底構造の計測を可能にした FD-OCT の最初の製品が病院の眼科に導入されたのが昨年(2006年)の事です。ここまで、全ての眼底検査用 OCT は 830 nm 付近のプローブ光帯域を使ってきました。

ところが、ここ数年、新しいプローブ波長帯域が注目をあつめています。以前、このブログのレビューでも触れた 1 um という帯域です。Vienna Medical University(現 Cardiff University)や MGH (Massachusetts General Hospital)のグループが指摘しているように、この波長帯域を用いたOCTは、従来のOCTよりも、より深くの構造が見えることがわかっています。眼底で言えば、網膜のさらに下、「脈絡膜」が高いコントラストで観察できるのです。

MGH には遅れをとったものの、COGにおいても(株)サンテックで開発された 1 um 帯域の光源をキーデバイスとして眼底検査用の FD-OCT の開発、および、応用研究を進めてきました。そして、ついに、筑波大学の倫理委員会の承認をうけ、ようやっと、臨床試験を開始しました。

最初のターゲットにしている疾患は加齢黄斑変性(AMD)です。欧米では中途失明原因の第一。日本でも増えてきている病気です。COGではすでに何例かの検査を終了し、1 um OCT が従来の OCT よりも優れているころ、逆に、従来のOCTと同じ程度の情報しか得られないところがわかってきました。

この結果は、5月はじめにフロリダで開かれる米眼科学会 (ARVO) で報告する予定です。

Joschi

2007年3月25日日曜日

応用光学懇談会(大阪)に現れます

3月26日(この月曜日)に大阪で開催される応用物理学懇談会でしゃべります。
タイトルは『光コヒーレンストモグラフィーによる皮膚内小組織の観察』。もっとも、ほんとは何しゃべるかまだきめてません。スライドも一枚もできてません。本番までにテンション上げておきます。なにがでるかは当日のおたのしみってことで。

Joschi

続報: 無事終了しました。結局演題は「光コヒーレンストモグラフィーによる3次元皮膚観察―『色』のついたOCT」としました。講演資料などご希望の方は安野までご連絡ください(連絡先は右のプロフィール参照)。全ての再配布はできないのですが、出来る範囲で資料お送りします。

2007年3月23日金曜日

ECBO の採択が決定しました

今年6月にミュンヘンで開催される国際会議 ECBO 2007 (European Conference on Biomedical Optics 2007)の採択が決定しました。COG の今回の採択率は 100%。以下の4件の口頭発表が採択されました。

  1. “Scattering optical coherence angiography with 1-um swept source optical coherence tomography”(発表者: COG 安野嘉晃)
  2. “Phase retardation measurement of retinal nerve fiber layer using polarization-sensitive spectral domain optical coherence tomography and scanning laser polarimetry”(発表者:COG 山成正宏)
  3. “Optical coherence angiography for the retina and choroid”(発表者:COG 巻田修一)
  4. “Polarization-sensitive Fourier-domain optical
    coherence tomography for the imaging the anterior segment disorder of the
    eyes”(東京医大:三浦雅博)
それではみなさん、ミュンヘンで会いましょう!

Joschi

2007年3月21日水曜日

Paper Review #1: 1 um OCT と高分解能

A.D. Aguirre, P.R. Herz, Y. Chen, J.G. Fujimoto, W. Piyawattanametha, L. Fan and M.C., "WuTwo-axis MEMS Scanning Catheter for Ultrahigh Resolution Three-dimensional and En Face Imaging," Optics Express 15, 2445-2453 (2007) [Link to the article].

ちょっと前の Optics Express に掲載されていた MIT の OCT グループによる論文です。タイトルからもわかるとおり、主題は MEMS ミラーを使った OCT 用小型高速カテーテルスキャナーです。この主題に関しては、論文を読めばいいことなので、それ以外の読んでて少し気になったことについて書こうと思います。

一般的にカテーテル OCT では 1.3 um 帯の光がプローブとして用いられます。ところが、この論文で使っているOCTの光源(Nd:glass レーザー)は中心波長 1.06 um なのです。この 1 um 付近という波長帯、最近、眼底の OCT で注目を集めている波長帯です。この波長の光は硝子体(眼球の中身)の吸収の影響が小さいうえに、従来眼底のOCTで使われていた 830 nm よりも波長が長いので眼底の奥まで侵達・画像化できるんです。でも、この論文の主題はカテーテル。食道や血管が計測対象になるわけです。眼底用ではないんですね。ではどうして 1.06 um という波長帯を使っているのでしょうか?

これ、多分、(タイトルにもありますが)高分解能化のためだと思います。OCT では2種類の分解能を考える必要があります。一つは深さ方向の分解能。この分解能は「光源の波長幅に比例して高くなる」という性質があります。この論文で使われている Nd:glass レーザーは 200 nm 以上の波長幅がありますから、まず、この点で高分解能化が狙えます。さらに、この分解能は「光源の中心波長の二乗に比例して悪くなる」という特性もあります。つまり、一般的なカテーテル波長である 1.3 um よりも波長の短い 1 um 帯域はそれだけで深さ方向の分解能向上に貢献しているのです。しかも二乗で!

OCTのもう一つの分解能は横方向の分解能です。これは「プローブビーム幅に比例してよくなり、波長に比例して悪くなる」という特性があります。カテーテルの場合、カテーテル自体を小さくする必要があるため、プローブのビーム幅を大きくして横分解能を稼ぐ方法には限界があります。そこで、1.3 um よりも波長の短い 1 um 帯の光使うことで横分解能を 1.3 倍改善できるわけです。

ここで、「波長を短くすれば分解能が上がるならば、より短い 830 nm 帯域を使えばいいのでは?」という考えもできます。でも、830 nm まで短くなると今度は生体組織による散乱が強くなりすぎて組織の奥まで見えないのです。そういう意味で、1 um は高分解能が得られ、かつ、奥まで見える波長帯であるということが言えます。

さらに言えば、1 um 付近は生体を構成する主要要素の一つである水のゼロ分散領域ですから、1 um 帯域のOCTは分散による解像度の低下も受けにくくなります。このあたりも、高分解能を狙う上で有利に働くことになります。

ここまで、高分解能を狙うことが当然のよりに議論してきましたが、では、どうして高分解能を狙う必要があるのでしょうか?これは、カテーテルOCTの重要な応用が消化器系の癌検出にあるからだと思います。癌化した細胞では細胞核が肥大し、その形もいびつになることが知られています。つまり、OCTが高分解になり、細胞核まで見えるようになれば、生検をとらずに癌検査が行えるわけです。

今日はOCT光源の波長からここまで妄想をふくらませてみました。あくまでも安野の私見ですので、話半分できいておいてください。

Joschi

2007年3月16日金曜日

新ブランド「COOG」を立ち上げます

筑波大学眼科のOCTグループ、東京医科大学眼科のOCTグループといっしょに新ブランドを立ち上げることになりました。新しいブランド名は Computational Optics and Ophthalmology Group。略してCOOG (シー・ダブルオー・ジー)です。今後、COGからの眼科に関する研究発表は従来のブランドCOGとCOOGの二重所属で行われることになります。

大学の研究室では往々にして教授の名前がブランド名として使われます。誰々研究室、と。でも、そういうブランドって、教授が引退したら終わりなんですね。そして、個人名=ブランドという状態が続く限り、そのブランドは個人の、そして、個人の所属している組織のスケールを超えられないのではないかと思うわけです。

日本の大学の研究組織とアメリカのそれとを比較して気づくことがあります。日本では一個一個の組織の規模が小さいのです。じゃあ、この組織規模という壁を越えるにはどうすればいいのか?それに対して、僕が考えたことが「ブランドと個人、さらにはブランドと大学、を分離することで、教授という個人、大学という小組織を超えた、より大きな研究組織を作ることができるのではないか」と、いうことです。そして、それが、僕がCOGを立ち上げた最初のきっかけでもあります。周りがCOEという、国の政策の下の組織としての箱物行政を推進する中、COGは僕が組織の中身にこだわり続けた上での、僕なりの回答の一つでもあります。

そんなCOGも、歴史的な役目を終えようとしています。呉の孫家も、孫堅、孫策、孫権と代を重ねながら前に進みました。眼科に関する部分では、COGはその役割をCOOGに渡していこうと思います。そして、それは、研究組織の中身が、COGでは受け入れられないほど成長していったということだと思います。

願わくば、COOGが、僕が働きたくてやまないような、勢いと楽しさにあふれた実のある組織にんならんことを。そしていつか、COOGもその歴史的な役割を終え、より大きな魅力的なグループのできることを。

Joschi

2007年3月13日火曜日

お風呂にゆっくりつかるには

床屋とお風呂ってのは、いいもんですね。どんなに忙しくても強制的にのんびりさせられます。どんなに仕事がたまっていても、だまって髪を切ってもらう、ぽちゃんとお湯につかる、というような。床屋で顔をあたってもらう時のあったかい泡が最高です。お風呂にひょっこり入ってくる飼い猫の鼻にお湯をつけて遊ぶのも楽しいですね。

こんなのんびりなのですが、さすがに毎日となると退屈してきます。床屋はいいのです。多くて月に一回ですから。でも、お風呂は毎日です。なんとなく飽きてくるのです。そのうち烏の行水になってきます。昔はそれでもよかったのです。若い頃は。でも、30過ぎるとだめですね。それでは疲れがとれないのです。

つまりまあ、何が言いたいのかというと、「飽きずに、毎日、のんびりお風呂につかるコツ」というようなものがいるのではないかと、そう思うわけです。そして、実際いろいろやってみているわけです。

最初に、マンガを読むってのをやってみました。まあ、普通にいい感じです。頭も使わなくていいし、水に濡れたら捨てればいいわけです。でも、なんとなく、物足りないのですね。一日二日ならいいのです。でも、毎日となると。読み終わった後に、そこはかとなく時間を無駄にした感がただようのです。なにより、毎日風呂でマンガを熟読する32歳(独身)というのはいただけません。

次に、雑誌を読むってのをやってみました。PC系の情報誌とかですね。これは結構快適です。いいかんじで頭使わずに読めるわりに、時間を無駄にした感もありません。でも、問題があるのです。雑誌、湯気でへにょへにょになるのですね。別にしょうもない雑誌ならいいのです。でも、風呂で読んでいる雑誌に限って、「お、いいね。これ、とっとこ」というような事が書いてあるのです。無念です。

そこで、次に、週刊誌である Science を読むことにしました。週刊誌ですから、次から次へと届きますし、湯気でへにょへにょになっても、面白い記事はネットでPDFがダウンロードできます。完璧です。非の打ちようがありません。……。ところが、これにも一つ問題があったのです。専門用語がわからないんですね。英語の。自分の仕事の分野に近ければ辞書なしでよめます。でも、専門からはずれるとダメですね。基本的に geek な安野は、子供がすきそうな科学ねた、結構好きなのです。地学、考古学、宇宙、そういうやつ。
でも、英語だとわからんのです。辞書なしでは。そして、いくら豪気をめざす安野でも、電子辞書を風呂場に持ち込むほどの勇気はありませ。高いですし。

で、最終的に行き当たったのが、「論文」です。風呂場で読むのです。自分の専門のを選べば辞書もいりません。長さも、レター論文ぐらいのをえらべばいいのです。烏でもなく、のぼせず、ほっこりぐらいの時間お風呂につかれます。

唯一の問題は論文の水濡れをどうするか、でした。まあ、PDFを印刷するわけですから、濡れれば捨てればいいのです。でも、読んでる間によれよれになるのはこまります。結局これはクリアーファイルで解決しました。よく、百均とかで売ってる、透明ポケットのたくさんついたファイルです。ここにプリンタで印刷した論文を入れるのです。あとは、上からお湯をかけないように注意するだけです。ポケットの上はあいてますが、下は密封されてますから、多少お風呂につかってしまっても OK です。

これを思いついてからお毎日汗をかくまでほっこり風呂につかれるようになりました。しかも、時間を無駄にした感ゼロです。ただし、一つ忘れてはいけないことがあります。風呂上りにはファイルの全部のページをきちんと乾いたタオルで拭いておくこと。翌日ファイルが臭くなります。

Joschi

2007年3月11日日曜日

禁酒と率直の話

知ってる人は知ってると思いますが、安野はプチアル中です。まあ、お酒はかなり弱いほうなのですが、飲まないと落ち着かないのです。疲れがたまってても晩酌します。ひょっとしたら「プチ」はとっちゃってもいいのかもしれません。

そんな安野ですが、2ヶ月に一回ぐらい「禁酒」を誓います。で、2、3日お酒を我慢するわけです。そうすると、そのうち思うのです。「最近お酒飲んでなくて調子もいいし、ま、一杯ぐらいのんでもよくね?」と。「一杯だけ飲んで、また、しばらくお酒はやめよう」と。でも、ダメですね。一杯飲んだら終わりです。そのあとやっぱり、ぐずぐずお酒を飲む生活です。

ところで関係ないんですが、僕は、自分に納得できないことがある時は、誰に対してでも、どんな場でも口に出して指摘するようにしています。先日も、とある省庁系のシンポジウムで指摘しました。僕は発表者の意見に納得できなかったし、自分に不利な情報を完全に無視する発表者の態度を、研究者として尊敬できなかったからです。そして、きちんとそれを指摘することで研究も、研究行政もよくなると思ったからです。

その後、知人と話していてこんな事を言われました。「ほんとに世の中よくしようと思うなら、おかしいと思うことでも気づかない不利をして、自分が『おかしい』と思っている事も絶対気づかれないようにして、出世してたほうがいい」と。「そして、自分がシステムを変えられる立場になったら、一気にたたみかけるのがいい」と。僕はその意見に賛成です。下っ端が何を言っていても何も変わりません。もし、僕が十分しっかりした人間なら、絶対そうします。

ところが残念ながら、僕の意思はぐずぐずです。一回禁酒を破ると、まただらだら飲みだすタイプです。だから、僕は、納得してないことをそのままにはしておけないのです。そんなことしたら、そのままぐずぐず、そういうのを気にしない人間になってしまいます。僕にとっては単純な二択なのです。はっきり物を言い続けるか、自分の尊敬できない人間になるかの。

中村君が卒業します

先週金曜日2007年3月9日が中村君のCOGにおける仕事納めでした。

3年前、彼が卒論研究生として来た年、COGでは初の新入生面接を行いました。その時きちんと挨拶をしなかったことで注意を受け、ドアから入るところからやり直させられたチャラい兄ちゃんが、もう一人前に修士です。毎日顔を見ていると、たいして成長してないような気がするのに、こうやって3年前を思い返すと、全く別人のようなのが不思議です。

先輩と組んでファイバー型のSD-OCT装置を作ったのが4年生、その後の修士コースでは遠藤君のあとを継いでラインフィールドSD-OCTの開発を行いました。遠藤君のあとを継いだとはいうものの、実際には中村君が組み替えた全く新しいシステムです。まず、設計をして、仮組みをして、最初の画像を取得して。で、その画像が汚かったことから彼の解析人生が始まりました。

ラインフィールドSD-OCTではどうして画像が汚くなるのか、コヒーレントクロストークの解析に始まり、COGでは誰も技術をもっていなかった系の収差解析にもどっぷりでした。本を読んだり(勝手に)勉強会に参加したりして独力で勉強していきました。そして、彼なりに出した結論は彼の修士論文と、そして先日投稿した論文“High-speed 3D human retinal imaging by line-field spectral domain optical coherence tomography”にまとめられています。

系の解析が終了し、ここから系の改良!と、いうところで卒業なところが惜しまれます。でも、ここで仕事をかえるのもいいかもしれません。中村君は4月からはブラザーで向上をつづけていくようです。

修士論文も投稿論文も終わり、仕事の引継ぎも終わり、あと数日で仕事納めというときに、「まだ理解し切れてないところがあるので」といってコンフォーカル検眼鏡の論文を読んでいる、そういう向上心が印象的でした。

3年間、立派にやっていたと思います。中村佳史に敬意!!!そして、願わくは、またもう一度いっしょに働けることを。君と働く事は、僕自身の向上心を刺激します。

Joschi

2007年3月9日金曜日

競争原理とグランプリモード

テレビゲーム、僕は結構好きなのです。最近は、あんまり時間がなくてやりませんが。

大学生の頃にみんなでよく遊んで、今でも名作だと思うのが「マリオカート」です。スーパーマリオのキャラクターがちっこいカートに乗ってレースするやつ。アイテムを使って無敵になったり加速したり道路にバナナの皮おいたりするんです。

みんなあんまりやらないんだけど、そのマリオカートに「タイムアタックモード」ってのがあるんです。ひたすら一人でコースを回り続けるんです。ぐるぐるぐるぐる。ハムスターみたいに。で、コンマ何秒の世界で記録を競うわけです。有る意味、自分との戦いです。ちょっとでもブレーキのタイミング間違えると、如実にタイムに現れます。でも、そういう時は自分を責めるしかないわけです。つらいです。

で、僕の結論としては、やっぱ、マリオカートは友達とグランプリモードで遊ぶのが楽しいです。なんとなく好きな仲間たちと、わいわいやりながら。勝ったり負けたりして、だんだんうまくなって、みんなコースレコードが良くなっていく。大学の頃の夏休みは、徹夜でそんなことばっかりやってました。

だから、僕は今でもグランプリモードが好きです。マリオカートだけじゃなくて、仕事でも、研究でも。周りに競争相手のいない所で、一人でこつこつ仕事して、一人で着実に進む。僕は、そういうのって、すごいと思います。自分との戦いです。ある意味修行です。でも、みんながみんなそうやって淡々と仕事を進めていけるほどタフではないのです。やっぱ、仕事もグランプリモードが楽しいです。

自分がほんとにすごいと思う相手と競争して、勝ったり負けたりしながら仕事を進めていくのは、やっぱり楽しいです。そして、そうやって競争してると、みんなだんだん前に進んでいくのです。なにより、楽しいグランプリを探していると、面白い競争相手に出会えます。面白い人間が周りにいない人生なんて、想像しただけで退屈でしょげてしまいそうです。

今、僕のやっている仕事には、世界中にすごい競争相手がいます。なかなか勝てないけど、でも、グランプリモードを一緒に遊んでいるだけで、十分楽しいです。尊敬する相手との競争は、勝っても負けても気持ちいいです。でも、やっぱり、勝ちたいとも思います。そして、負けるとやっぱ、腹が立ちます。

僕がマリオカートから学んだこと。「勝ったら全身で喜ぶこと。負けたら思いっきり口惜しがること」これが、グランプリモードを楽しむコツです。

Joschi

2007年3月5日月曜日

中村君が論文を投稿しました

中村君が論文を投稿しました。タイトルは
"High-speed 3D human retinal imaging by line-field spectral domain optical coherence tomography." 投稿先は Optics Express です。

修士の2年間こつこつとやってきたことを最後にまとめた論文。共著の僕が読んでも、良くかけた論文です。読んでいて新鮮な面白さがあります。自分たちがもうわかりきっていると思っていたシステムに関する論文なのに、丁寧に解析していけばこんなにも面白いことがあるのか、と思わせます。

できれば、無事査読を通過して、世界中の不思議な尊敬するライバル達に呼んで欲しいです。

Joschi

2007年3月4日日曜日

悪口とモラルの話

僕はよく他人の悪口を言います。それは、僕に劣等感があるからだと思います。他人のことを悪く言うことで、自分を逆に褒めてもらいたいのでしょう。能力の話を持ち出しても、どんな倫理や正義を引き合いに出しても、悪口はただの悪口です。

能力の評価は、それを評価する人間のものさしに映した、評価される人の投影です。能力の評価で他人のことをとやかく言うのは、常に評価する側が有利になるような出来レースです。だから、能力を根拠に他人を「ダメだ」批判するのはアンフェアな悪口だと思います。そして、僕に限って言えば、それは、自分に対する劣等感を他人になすりつけているだけの、さらにアンフェアな悪口です。

倫理や正義も、他人をダメだと批判する理由にはなりません。それは、倫理や正義が個に属するものではなく、集団に属するものだからです。そして、その集団も、視点を遠くに取れば多くの集団の中の一つの「集団という個」でしかありません。

僕には僕のモラルがあります。でも、それは、僕の中で完結したものであり、僕の中でだけ通用するモラルであり、宇宙の真理でもなければ、まして社会的な正義でもありません。それぞれの人にはそれぞれのモラルがあります。そして、それは、多くの場合、互いに衝突するようなものです。だから、僕は僕のモラルに反する人間をダメな人間だとは思いません。そういう人をダメだと言えば、それは、悪口です。

それでも、やはり、何か言いたいことがあるのです。なんとなく、嫌なのです。だから、そういう気持ちを表現するために、僕はもっと単純な言葉を使おうと思います。それは「嫌い」という言葉です。「嫌い」は個人の感情です。何の理由もありません。ただ「嫌い」だし、ただ「いや」なのです。嫌われた人間が悪いわけではありません。いやだと言われた事は悪いことではありません。それは、単に、僕の中で完結したような、そういう単純な話です。

ここまでの事をきちんと理解してから聞いてください。

僕は、いい加減な研究者が、嫌いです。研究に対して誠実でない研究者が嫌いです。予算を取ることが成果だと思っている人間が嫌いです。そして、その予算が、みんなが一生懸命働いて稼いだ払った税金だと、明確な目的と信念もなく使う人間が嫌いです。それは、社会正義とか、研究者の倫理とか、そういう問題ではありません。僕が、嫌いなのです。僕は、自分がそういう人間になるのが、嫌なのです。

2007年3月2日金曜日

COG web site 再開

COG の web site が再開しました。昨年10月の停電時にサーバのハードディスクがクラッシュして以来、5ヶ月ぶりの再開です。まだ、クラッシュ時のページをリストアしただけですが、徐々にアップデートしていきます。

2007年2月26日月曜日

Gewalt!!!

最近、自分を見失っていました。

知ってる人は知ってると思いますが、安野の筑波大学との契約はこの3月末で終了します。それで、その先の就職先を探していました。今までが大学の助手だったわけですから、やはり、次の就職先も大学中心に探していました。で、就職活動の中で大学の先生達と話す機会が増えました。それでいろんなことを考えだしてしまったのです。大学の教育とはなんなのか?理想の教育とはなんなのか?どうすれば学生達を育てていけるのか?年末くらいから、考えに考えて、迷いに迷って、自分なりに結論らしきものも出たりしていました。

ところが最近になって、またそうやって出した結論を疑いだしたのです。自分の出した結論、つまり教育の理想、これがなんとなくうさんくさい、と。そして、ふと、我に返ったのです。危ないところでした。大学のあるべき姿とか、教育の理想とか、そんな安野らしくないことばかり考えて、すっかり自分を見失っていました。

僕の基本姿勢は、銭ゲバ。座右の銘は「生活と金」。人生の目標は復讐です。他人が死ぬ思いをして払った税金で「自分の」理想を語るインテリへの復讐。インテリが知らず知らずのうちに金を吸い取っていた、社会の下っ端、飲み屋の息子である僕の、僕達の作った技術で、いつの間に奴らが幸せになっている。そういう個人的な復讐劇です。

そんな自分が危うく、他人の税金で理想を語るインテリになるところでした。

人は、飯さえ食えれば理想がなくても生きていけます。理想は、飯を食った後に考えればいいこと。飯は生活、生活するには金がいる。そして、生活できるようになった人間は、自然とみんなの役に立とうと思うんだと、僕は思います。少なくとも僕はそうでした。飲み屋の女将であり、借金にまみれていた僕の母親の口癖は「世間様の役にたつ人間になれ」でした。僕は、僕と一緒に働いているスタッフ・学生を信じています。人は、生活できなければ自分のことだけを考えます。それは、彼らが生きているからです。でも、彼らが金をもって、自分の生活に憂いがなくなれば、次に彼らは、自分たちの頭で考えて、自分たちの信じるように世の中を良くしようとしてくれるはずです。そこには僕の考える個人的な、または利己的といっていいような「理想」は存在しません。それぞれの人間が、それぞれに理想をもち、時に協力しあいながら、時に競い合いながら、それぞれの持っている理想を実現しようとするはずです。それは、矛盾を内包した、それでいながら完全な向上です。

だから僕は、銭を稼いで、スタッフの生活を守ることだけを考えようとおもいます。その先の理想は、スタッフが、学生が、自分たちで考えることです。「自分」の答えは「自分」にしか出せません。僕は、僕の周りの人間を信じています。