2007年2月26日月曜日

Gewalt!!!

最近、自分を見失っていました。

知ってる人は知ってると思いますが、安野の筑波大学との契約はこの3月末で終了します。それで、その先の就職先を探していました。今までが大学の助手だったわけですから、やはり、次の就職先も大学中心に探していました。で、就職活動の中で大学の先生達と話す機会が増えました。それでいろんなことを考えだしてしまったのです。大学の教育とはなんなのか?理想の教育とはなんなのか?どうすれば学生達を育てていけるのか?年末くらいから、考えに考えて、迷いに迷って、自分なりに結論らしきものも出たりしていました。

ところが最近になって、またそうやって出した結論を疑いだしたのです。自分の出した結論、つまり教育の理想、これがなんとなくうさんくさい、と。そして、ふと、我に返ったのです。危ないところでした。大学のあるべき姿とか、教育の理想とか、そんな安野らしくないことばかり考えて、すっかり自分を見失っていました。

僕の基本姿勢は、銭ゲバ。座右の銘は「生活と金」。人生の目標は復讐です。他人が死ぬ思いをして払った税金で「自分の」理想を語るインテリへの復讐。インテリが知らず知らずのうちに金を吸い取っていた、社会の下っ端、飲み屋の息子である僕の、僕達の作った技術で、いつの間に奴らが幸せになっている。そういう個人的な復讐劇です。

そんな自分が危うく、他人の税金で理想を語るインテリになるところでした。

人は、飯さえ食えれば理想がなくても生きていけます。理想は、飯を食った後に考えればいいこと。飯は生活、生活するには金がいる。そして、生活できるようになった人間は、自然とみんなの役に立とうと思うんだと、僕は思います。少なくとも僕はそうでした。飲み屋の女将であり、借金にまみれていた僕の母親の口癖は「世間様の役にたつ人間になれ」でした。僕は、僕と一緒に働いているスタッフ・学生を信じています。人は、生活できなければ自分のことだけを考えます。それは、彼らが生きているからです。でも、彼らが金をもって、自分の生活に憂いがなくなれば、次に彼らは、自分たちの頭で考えて、自分たちの信じるように世の中を良くしようとしてくれるはずです。そこには僕の考える個人的な、または利己的といっていいような「理想」は存在しません。それぞれの人間が、それぞれに理想をもち、時に協力しあいながら、時に競い合いながら、それぞれの持っている理想を実現しようとするはずです。それは、矛盾を内包した、それでいながら完全な向上です。

だから僕は、銭を稼いで、スタッフの生活を守ることだけを考えようとおもいます。その先の理想は、スタッフが、学生が、自分たちで考えることです。「自分」の答えは「自分」にしか出せません。僕は、僕の周りの人間を信じています。

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