2007年3月4日日曜日

悪口とモラルの話

僕はよく他人の悪口を言います。それは、僕に劣等感があるからだと思います。他人のことを悪く言うことで、自分を逆に褒めてもらいたいのでしょう。能力の話を持ち出しても、どんな倫理や正義を引き合いに出しても、悪口はただの悪口です。

能力の評価は、それを評価する人間のものさしに映した、評価される人の投影です。能力の評価で他人のことをとやかく言うのは、常に評価する側が有利になるような出来レースです。だから、能力を根拠に他人を「ダメだ」批判するのはアンフェアな悪口だと思います。そして、僕に限って言えば、それは、自分に対する劣等感を他人になすりつけているだけの、さらにアンフェアな悪口です。

倫理や正義も、他人をダメだと批判する理由にはなりません。それは、倫理や正義が個に属するものではなく、集団に属するものだからです。そして、その集団も、視点を遠くに取れば多くの集団の中の一つの「集団という個」でしかありません。

僕には僕のモラルがあります。でも、それは、僕の中で完結したものであり、僕の中でだけ通用するモラルであり、宇宙の真理でもなければ、まして社会的な正義でもありません。それぞれの人にはそれぞれのモラルがあります。そして、それは、多くの場合、互いに衝突するようなものです。だから、僕は僕のモラルに反する人間をダメな人間だとは思いません。そういう人をダメだと言えば、それは、悪口です。

それでも、やはり、何か言いたいことがあるのです。なんとなく、嫌なのです。だから、そういう気持ちを表現するために、僕はもっと単純な言葉を使おうと思います。それは「嫌い」という言葉です。「嫌い」は個人の感情です。何の理由もありません。ただ「嫌い」だし、ただ「いや」なのです。嫌われた人間が悪いわけではありません。いやだと言われた事は悪いことではありません。それは、単に、僕の中で完結したような、そういう単純な話です。

ここまでの事をきちんと理解してから聞いてください。

僕は、いい加減な研究者が、嫌いです。研究に対して誠実でない研究者が嫌いです。予算を取ることが成果だと思っている人間が嫌いです。そして、その予算が、みんなが一生懸命働いて稼いだ払った税金だと、明確な目的と信念もなく使う人間が嫌いです。それは、社会正義とか、研究者の倫理とか、そういう問題ではありません。僕が、嫌いなのです。僕は、自分がそういう人間になるのが、嫌なのです。

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