2007年4月14日土曜日

技術屋と臨床屋の話

僕達 COG の研究プロジェクトの一つに「Optical Coherence Angiography (OCA)」というのがあります。光コヒーレンストモグラフィー(OCT)の技術を使って、眼底の血管の構造を可視化しようとプロジェクトです。

このプロジェクトの背景には二つの技術があります。一つは蛍光眼底造影。実際に眼科医療の現場で用いられている技術です。まず、静脈から蛍光色素を注入して、その蛍光色素の発する蛍光を撮影します。これによって眼底の血管・循環の様子がわかります。もう一つは Doppler OCT。OCT信号の位相情報を解析することで、血液の「流れ」を可視化する技術です。

この Doppler OCT という技術、「流れ」を検出する技術なのですが「速度」を検出する技術ではないのです。もちろん、流れの速さが速度なわけですから「速度」がわかってもよさそうなものなのですが、実際には「速度」を求めるためには「流れ」の「方向」を正確に知る必要があります。そして、その流れの方向を知るというのは、非常に難しいのです。特に、生きているヒトの眼底では。

この「速度がわからない」という点は、Doppler OCTの大きな欠点の一つでした。実際に、最初のデモンストレーションから10年たった現在に至るも、Doppler OCTの臨床上有効な応用というのは見つかっていないのです。

そこで、僕達が考えたのが「Doppler OCTを(速度を計測することではなく)、血管の形状のコントラストするための機工として使えないか?」というものでした。これが OCA プロジェクトの始まりです。まず、Doppler OCT 信号を的確に処理して表示することで、3次元の血管構造の可視化に成功しました。これに、蛍光眼底造影 (angiography) にあやかって、Doppler OCA という名前をつけました。蛍光眼底造影のように(人によっては強いアレルギー反応の出る)蛍光色素の注入を用いずに、同等の情報が得られる技術、という意味です。

このOCA プロジェクト、エンジニアからの評判は非常にいいのです。3次元で表示された生きたヒトの眼底の血管構造というは、画像として、非常にインパクトがあるのです。ところが、この技術、医療サイドからはなんとも受けが悪いのです。

ちょっと考えてみれば、その理由は簡単なことでした。眼科医は「血管の三次元構造」には興味はないのです。「病気の状態を知る」ことこそ重要なのです。そこがエンジニアの視点から眼科現場をみていた僕達の落とし穴でした。僕達は眼科のお医者さんたちがFA、もしくはICGAと呼ばれる蛍光眼底造影写真を「見ている姿」を見ていました。そして、「ああ、ああいう血管の構造が見てみたいんだな」と勝手に思っていたのです。でも、それが間違いでした。間違いの原因は、僕達は「見ている姿」を見ていたことです。僕達がほんとに見なければならないのは「見ている姿」ではなく「見ている物」つまり、造影写真そのものだったのです。

OCA プロジェクトが始動してしばらくして、僕達は眼科医の先生達と組んで、自分たちの作った装置で実際に自分たちで患者さんの検査を行うようになりました。そうするうちに、今までとは違った見方で物を見るようになったのです。つまり、「見ている姿」を見るのではなく、「見ている物」に興味を持つようになったのです。「ここに映っている過蛍光はいったいなんだろう、この黒く映っている部分にはいったい何があるのだろう」という風に。

そうやって自分たちで蛍光造影写真をみていると、すぐにあることに気づきました。血管の形なんて、実はたいして重要じゃないのです。もっと重要なのは、蛍光色素の時間的な変化や、色素の映り方そのものなのです。こんなこと、実際の臨床現場にいればすぐに気づくことです。でも、気づかなかったのです。エンジニアの僕達には。臨床現場を外から眺めて、暗い実験室の中でまして正常眼だけを計測していた僕達には、まったく見えていなかったことなのです。自分たちでやってみて、初めてわかったことでした。お医者さんから間接的に教えてもらうだけでは、だめだったのです。

僕達 COG が、他のグループに対して持っている一番大きなアドバンテージは、技術そのものではなく「臨床のお医者さんが好き勝手に出入りできる」、この環境です。僕達エンジニアは医師に奉仕する立場でもないし、医師は僕達のためにデータを提供する存在でもありません。技術屋と臨床屋、この二種類の人間が対等に渡り合ってこそ、初めて役に立つものが出来るのではないかと思います。そして、この「対等な渡り合い」が究極的になると「臨床屋と技術屋」という境界は限りなく消滅するはずです。もし、あなたが技術屋で、そうなることを望んでいるけれども「医師免許のない自分は医者にはなれない」と思うのであれば医師免許をとればいいのです。「医師」や「開発職」は職業の名前であって、人間の本質的な区分ではありません。

僕は、技術屋の視点と心を持たない大きな大学病院が行っているような技術開発プロジェクトが成功するとは思いません。でも、それと同時に、臨床屋の視点も心も持たずに進められている工学部主導の医療機器開発プロジェクトが成功するとも思いません。

僕は最近、医工競争という言葉を好んで使います。医と工が互いの領分をまもって協力する「医工連携」ではなく、互いが互いの領分を奪い合うぐらいの気持ちで一緒に働く、切れば地が出るぐらいの「医工競争」です。そうでなけければ本当の協力は生まれないと思うからです。でも、本当は、「医工競争」も、まして「医工連携」もまだまだ不十分なのです。「医」と「工」を区別している時点で。まだ、理想からは程遠いのだと思います。

今、僕達の OCA は、「使えない技術」です。でも、いつまでも使えないわけではありません。なぜなら僕達 COG は、尊敬できる臨床屋と交流することで、臨床屋の視点を手に入れました。そして、今僕達と一緒にがんばっている臨床屋は技術屋の視点を手に入れています。そんな環境の中で OCA はさらに進化を続けています。数年後、この技術が多くの人を失明から救うことができればと思います。

Joschi

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