2007年5月18日金曜日

負けて悔しい話

先日このブログに「負けて嬉しい話」というのを書きました。舌の根も乾かないうちにその逆の話。逆の話なのですが、これも同じ学会(アメリカの眼科科学会 アルボ・ARVO で感じたことです。


日本の科学技術は進んでいます。なにせ科学技術立国ですから。僕が子供の頃(1980年代)は確かにそうだったのかもしれません。まあ、そのころ僕はただのパソコン少年だったので、本当のところはわかりませんが。でも、少なくともそう信じて育ってきました。そのまま大学の工学部に入って、大学院に進みました。そのころもまだ、日本の技術は世界と肩を並べていると思っていました。だって、日本の学会に行くと偉い先生たちがそういうような事を言っていますし。たとえアメリカのグループがいい結果を出していても「独創性では日本の研究の方がすごい」らしいです。それに、アメリカは大国でお金もあるし、人もたくさんいるから、まあ、アメリカの方がすごいのは当然、でも、日本だってそれとタメはっているのです。と、信じていました。

2004年の1月、僕は初めてアメリカ・サンノゼで開催された Photonics West (BiOS) という学会に行きました。そこが、僕たちの研究分野の一番の大イベントの会場だったのです。僕たちはまだ日本の中でも駆け出しのグループで、国内でも無視されているような弱小グループでした。日本には僕たちより偉い「パイオニア」がたくさんいたのです。そんな弱小グループの僕が、サンノゼに行ってみました。行ってみたら、日本人は僕一人でした。日本で有名な「パイオニア」の先生の名前なんて誰も知りません。そして、その学会で発表される結果は技術先進国日本で、えらい大学の先生たちが発表し、そして多くの人たちがそれが世界の最先端であると信じていた技術の遥か先を行くものでした(注1)。ショックでした。悔しかった。日本のグループなんて、はなっから相手にされてないのです。

その学会から帰ってきてから、僕は周りの人間とよくもめるようになりました。僕一人、いつもイラついていたのです。周りに「お前らの信じてる世界は全部うそっぱちだ!世界はずっとずっと先にいってる!」っていっても、誰も信じてはくれないのです。そりゃ、そうです。僕だって、その学会に行く前にそんな「わけのわからないこと」聞かされたら「何いってんの?こいつ」と思うでしょう。だって、日本と世界の差は、普通に想像できる範囲を遙かに超えてたわけですから。

次の年、無理して予算を工面して、スタッフ全員をサンノゼに連れて行きました。そうしたら、僕と同じように「わけのわからないこと」を言う人間が増えました。その後は、辛くもあり、楽しくもある数年でした。そして、やっとこさ最近、この研究分野で、世界の中で日本のグループが認知されるようになってきました。僕たちのグループだけではありません。日本のグループ全体の話です。今年の BiOS では、この研究テーマのセッションの日本のグループからの発表が全体の 10% を超えたそうです。最初の年には話しかけてもろくに相手もしてくれなかったトップグループのリーダーの一人に「ここのところの日本のグループの成長はすごいなあ」と言われました。まだまだ世界に並ぶところまではいってないけれど、それでも凄く嬉しかった。なんだか、僕たちみんなが頑張ったことで、すこし世の中が変わったような、そんな気がしました。それが今年の1月のことです。


その3ヶ月後、僕たちはまたアメリカに行きました。フロリダで行われたアルボ(ARVO)に出るためです。僕たちが今までやってきた研究分野では、日本のグループは健闘していました。まあ、まだ全然勝ててはいませんが、でも、誰も日本のグループを無視したりはしなくなりましたし、きちんと同じ目線で技術の話をしてくれるようになりました。

でも、そこでふと、少し視野を広げて研究分野を見てみたのです。僕は技術屋ですから、眼科の臨床研究じゃなくて、眼科の工学技術の分野です。そこで愕然としました。その視野で見ると、日本はやっぱり、未だ世界に相手にもされてないのです。でも、僕が愕然としたのはそのことではないのです。そんなことはとっくに判っていましたから。僕が愕然としたのは「結局日本の中の世界は3年前と何も変わっていない」という事に気づいたからです。

未だに日本には日本独自の「パイオニア」の偉い先生がいて、みんなそれを信じていて、すごい金額の税金がそこに投入されていきます。でも、一歩世界に出れば、そんな人間、だれも相手にしてないのです。いや、正確には、そんなパイオニアがいることなんて、世界のパイオニアは全く知りません。だって、話にならないのですから。日本の技術は世界の10年近く後ろを歩いているのですから。アメリカのポスドクの一人に「この分野、日本の論文全然でてないね」といったら「オフコース!」と言われました。ショックでした。悔しい。

サンノゼでの悔しさから3年たって、大切なことは結局何も変わっていません。変わったことと言えば、役者がちょっと変わっただけです。研究分野は少しかわったし、それにかかわるグループも変わりました。でも、それだけです。日本は相変わらず「技術立国」のままだし、やっぱり今でも日本には「日本のパイオニア」がいます。


僕は、もう嫌です。こんな状況の中でだくだくと、ゆっくりと、でも確実に死んでいっているような、そんな生き方は、もう嫌です。日本の技術が世界をリードしていると思っている人は、勝手に思っていてください。僕たち COG が フーリエドメイン光コヒーレンストモグラフィー(FD-OCT) のパイオニアだと思っている人がいたら、それは騙されているのです。僕が騙していたのです。今の FD-OCT の基礎を気づいたのは マサチューセッツ総合病院のグループです。今までだましてすいませんでした。でも、これからは、もう、そんな嘘の片棒は担ぎたくありません。

いい加減、眼を覚ましてください。日本の眼科工学は、世界をリードなんてしていません!そんな偉い先生の言う事を信じて大量の税金をそこに投資している人がいたら、逃げずに、きちんと、自分の眼で世界を見に行ってください。僕たちは負けてるのです。しかも、惨敗です。


信じない人は信じなくて結構。現実の外でへなちょこなプライドを満たされたい人は、勝手にやってください。負けた悔しさを感じる感性も鈍らせてしまうようなニヤニヤなパーティーも、大本営発表みたいなシンポジウムも、もうたくさんです。僕はもう、付き合いません。僕はもう一度、一番下から這い上がります。どうせ、守るようなポジションも、人に胸を張れるようなステータスも僕にはありませんから。「成功」が好きな人はご自由に。僕は「成功していく面白さ」は大好きですが「成功」には興味はありません。


Joschi


注1)その先生たちの名誉のために言っておきます。その先生たちは、今思えば、その当時からフェアにきちんと世界の状況を紹介していました。でも、聞いている方が勝手に都合のいいところだけ聞いて、都合の悪いところは耳を塞いでいたのでしょう。だって、その方が気分いいですから。今になると、その時の先生たちの立場、判る気がします。

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