2007年3月31日土曜日

浮気されました。猫に。

履歴書に「家族欄」ってあるじゃないですか。今はもうないのかもしれないけど。まあ、僕が学生の頃にはあったのです。たまにこの家族欄に「名前:安野きちぢ、続柄:妻、職業:猫」って書くことがあったのです。まあ、さすがに、まじめに書かないとまずいやつには書きませんが。

きちぢがうちにやってきたのは、僕が大学4年生の時でした。僕がセガサターンに夢中になっていると、窓の外で「バン!バン!」と音がするのです。見てみると手のひらサイズの子猫が網戸に張り付いていました。それが僕ときちぢのなれそめです。その後 11 年間僕はきちぢを大切にしてきました。いや、僕なりに大切にしてきたつもりでした。それなのに…

先日、仕事が終わり帰宅した僕は、深夜の我が家のドアをあけました。いつもなら きちぢが「にゃー」と鳴いて出迎えてくれます。ところがその日はどうも様子が違うのです。「にゃー」ではなくて「にゃニャー」なのです。文字で伝わりにくいのですが、ハモっているのです。鳴き声が。「は!」っと思った僕はすぐに部屋の電気をつけました。すると、そこには、きちぢと、そして、見知らぬ白猫がいるではないですか。しかも彼(白猫)は眠そうに、きちぢといっしょに、僕の寝室から出てきたのです。

まずいところに居合わせました。たしかに、僕は仕事もいそがしく、休みの日もあまりきちぢをかまってやることができません。そんなきちぢが、つい他の猫が気になってしまう気持ちはわかります。でも、しかし…、いや、なんというか、自宅ではちあわせはまずいです。僕も気まずそうな顔をしたのですが、状況を認識したきちぢも気まずそうな顔をしています。

僕は、見てみ見ぬふりをしようと、ドアを開けっ放しにして、それとなく距離をとりました。白猫が黙って帰れるように、と…。ところが、彼、眠そうに「にゃー」と鳴くだけで、帰るそぶりがないのです。するときちぢが思いもよらぬ行動にでたのです。

「ふーっ!」「しゃっしゃ!」突然、白猫に威嚇をはじめたのです!あたかも、「こいつが勝手に入ってきてこまってるんですよー」という風に。でも、しっぽの毛が逆立ってないのです。猫はほんとに怒るとしっぽの毛、逆立つんですね。でも、きちぢは、体の毛も、しっぽの毛も、ぺたんとしているのです。怒ってないんですよ。ほんとは。ポーズなんです…。ばればれです。白猫は白猫で、「え?なんで俺威嚇されてんの?」って顔でぽかんとしてます。

僕も、もう、32歳。いつまでも子供ではありません。こうなった以上、この状況を受け入れなければなりません。僕はきちぢと白猫に微笑むと、白猫に近づきました。白猫のほうも鼻をくんくんさせながら擦り寄ってきます。僕は白猫をだきあげると、そっと家の外に放してやりました。また、きちぢと遊んでやってね、と。

寂しい気もしますが、いいんです。このことは。きちぢもいつか、僕から巣立つ日がくるのです。ただ、今の問題は、白猫があまりにもかわいく、このままでは白猫まで家族欄に書くはめになってしまいそうなことです。

Joschi

山成君が論文を投稿しました

すこし前の話になりますが、COG の山成君(blog)が論文を投稿しました。タイトルは “Phase retardation measurement of retinal nerve fiber layer by polarization-sensitive spectral-domain optical coherence tomography and scanning laser polarimetry” 。投稿先は Journal of Biomedical Optics です。眼底の視神経乳頭の周りを偏光OCTで撮影して、そこから視神経繊維の厚さを求める方法に関する論文です。さて、無事採択されるでしょうか…

2007年3月30日金曜日

OCTの次の技術は?

光コヒーレンストモグラフィー(OCT)の研究を始めてから、そろそろ 5 年になります。一年位前からたびたび「OCTの次の技術、ポストOCTはどんな技術だと思いますか?」と聞かれるようになりました。最初の頃は、「非線形光学顕微鏡ですかねぇ」とか「音響光学トモグラフィーですかねぇ」とか答えていたのですが、なんだかしっくりきません。なんだかんだで悩んでいたら、最近になって、「ポストOCTはポストOCTでしょう」と思うようになりました。

確かに、利益をあげなくちゃいけない企業の人、公的資金獲得に忙しい大学人・国立研究所の研究者、それぞれが「次の技術の流れはどこにいく?」と気になるのはわかります。先のことは僕だってきになります。「今年はどんな食べものがはやるんだ!?」とか。食べ物です。食べ物。技術じゃなくて。どうして僕が「食べ物の流行」が気になるのか。それは僕が、「食べ物を食べて生きていて、けれども、僕自身は『食』という産業にかかわる人間ではないからだと思います。

人間はだれでも「食」と密接にかかわっています。そして、僕のように「食」の流行に対して決定権のない人間は、誰か別の人間がしかけた流行が気になるのです。逆に僕が外食産業の企画屋だったら、多分「今年は何がはやるか」ではなくて「今年は何をはやらせてやろうか」を考えていると思います。そして、僕がもし単純に食べ物の好きな料理人だったらもっと簡単に考えると思います。つまり、「今年は何がはやるか」ではなくて「もっとおいしい料理をつくるにはどうしたらいいか」と、いうようなことを。

僕は OCT の開発をしています。だから僕にとっての疑問は「次に何が流行るか」=「ポストOCTは何なのか」ではないのです。僕の疑問は「もっとおいしい料理はどうしたらつくれるのか」=「もっといいOCTはどうやったら作れるのか」なのです。そしてそんな風に考えて仕事を進めていくと、いつのまにかだんだんと技術の顔はかわっていきます。10年後、世界中のエンジニアが少しずつ改良を重ねて様子のかわったOCT、それはすでにOCTとは呼ばれていないと思います。そして、今「ポストOCT」を尋ねる人たちはその技術をみて「これがポストOCTですね」というんだと思います。でも、それは、開発に携わっているエンジニアにとっては、やっぱり、「OCT」なのです。

技術の進歩というのは、そういうものじゃないかなあと、最近思うようになりました。

Joschi

2007年3月28日水曜日

僕の一回り

先日のレビューの脱線がきっかけで、ここ10数年、自分が成長したのか、それとも退化したのか悩みだしました。そこで、この問題に決着をつけるべく、今日は、12年前の僕と、今の僕、スコアをつけて定量比較してみたいと思います。

凡例: [12年前] → [現在] = スコア

OS: 端末室のUNIX → Windows XP = ±0 pt

住居: 学生宿舎(月1万)→アパート(月3万300円、共益費込)= +1 pt

暖房器具:ファンヒーター → ストーブ = -1 pt

冷房器具:扇風機 → 扇風機 = ±0 pt

食生活:自炊 → コンビニ = ある意味 -2 pt

貧度:玉子ドーナツが買えずに本気で泣く → とりあえず、食うには困らない = +2 pt

愛車:フランケン号(ゴミ捨て場で集めたパーツで組み立てたママチャリ) → Fit(中古)=+ 3pt

休日:サークル活動 → お囃子 = +1 pt

夏休み:鈍行貧乏旅行 → なし。 = -1 pt

徹夜:友人とゲーム → 無理。 = -2 pt

体力:自転車で夜中に伊勢参(往復100Km)→自転車で土浦往復 = -2 pt

家族: ぶち猫 → 雉猫 = +1 pt (模様がゴージャスなので)

愛読書:ジョジョの奇妙な冒険(第4部)→ スチール・ボール・ラン(ジョジョの奇妙な冒険・第7部)= +3 pt (第7部 - 第4部)

好きなスタンド:キラークイーン(本体:吉良吉影)→キラークイーン(本体:吉良吉影)=±0 pt

以上、合計すると +3 pt。ジョジョの奇妙な冒険が聞いたようです。以上、僕のこの12年での成長は、愛読書がジョジョの奇妙な冒険・第4部から第7部であることがわかりました。成長していたことがわかり、ひとまず安心しました。

Joschi

2007年3月27日火曜日

Review: livedoor Reader

COG の山成君にすすめられて、livedoor Reader (RSSリーダー) を使いだしました(山成君のブログ)。いやはや、便利ですね、これ。今までは FireFox 組み込みの RSS リーダーと WWWC というページ更新チェッカを使っていて、まあ、それなりに満足してました。でも、 livedoor Reader を使い出した今となっては、もう、あの頃にはもどれません。

土曜の昼間には、隣町土浦のドトールの隅っこの席で、おっちゃん・おばちゃんの煙草の煙にまかれながらコツコツ未読記事のチェックをしています。一週間たまった論文誌の記事の要約をチェックをしてると、なんとなく仕事してるような充実した気分ります。まあ、気分だけなんですが。論文自体を読んでるわけではないですから。でも、そのおかげで、週末の夜は安心した気分で泥酔できますし、日曜日は安心して昼まで寝てられます。まあ、目が覚めた後、「このままじゃ俺、ダメになる」と思ったりもするのですが。

話をもどしましょう。この livedoor Reader、更新のチェックから、記事のサマリまで、統一したインタフェースで扱えるというのが便利です。便利なのですが、それに加えて、いや、それ以上にショートカットキーがいい味出してます。便利とか、そういう合理的な話だけではなく、「いい味」だしてるのです。「j」で次の記事、「k」で前の記事。ああ、ぁぁあああ。まるでインターネット黎明期の(テキストベースの)ニュースリーダーのようではないですか。

学生時代、授業が終わると情報処理センターの端末室に直行し、夜10時の閉館時間まで、モノクロCRTのX端末にかじりついて、ニュースグループに目を通したり、UNIXの設定ファイルいじったりしていた頃の記憶が蘇ります。

大学 2 年の秋のことです。情報系の先輩に「www ってのができて、世界中のいろんな機関が公開している画像や情報がたちどころに手に入る」というのを教えてもらいました。そして、早速、StarTreck Next Generations のファンサイトを訪れました。感激しました。それから早くも 13 年。NASA の Gopher[*1] サイトの英語記事を辞書を引き引き読んでいたころから14年です。あの頃も「このままじゃ、俺、ダメになる」と思っていました。

あれ?10年以上たっているわりには、技術も僕も、そんな成長してないような…。まあ、まだ、「ダメに『なった』」わけではないのでよしとしましょう。

Joschi

[*1] 若い衆はしらんと思いますが、テキストベースの www みたいなもんです。参考 [Wikipedia:Gopher]

高侵達眼底 OCT の臨床試験を開始しました

眼底検査装置としての OCT の最初の商業モデルが登場したのは 1996 年でした。その後、計測時間を飛躍的に短縮し、3 次元の眼底構造の計測を可能にした FD-OCT の最初の製品が病院の眼科に導入されたのが昨年(2006年)の事です。ここまで、全ての眼底検査用 OCT は 830 nm 付近のプローブ光帯域を使ってきました。

ところが、ここ数年、新しいプローブ波長帯域が注目をあつめています。以前、このブログのレビューでも触れた 1 um という帯域です。Vienna Medical University(現 Cardiff University)や MGH (Massachusetts General Hospital)のグループが指摘しているように、この波長帯域を用いたOCTは、従来のOCTよりも、より深くの構造が見えることがわかっています。眼底で言えば、網膜のさらに下、「脈絡膜」が高いコントラストで観察できるのです。

MGH には遅れをとったものの、COGにおいても(株)サンテックで開発された 1 um 帯域の光源をキーデバイスとして眼底検査用の FD-OCT の開発、および、応用研究を進めてきました。そして、ついに、筑波大学の倫理委員会の承認をうけ、ようやっと、臨床試験を開始しました。

最初のターゲットにしている疾患は加齢黄斑変性(AMD)です。欧米では中途失明原因の第一。日本でも増えてきている病気です。COGではすでに何例かの検査を終了し、1 um OCT が従来の OCT よりも優れているころ、逆に、従来のOCTと同じ程度の情報しか得られないところがわかってきました。

この結果は、5月はじめにフロリダで開かれる米眼科学会 (ARVO) で報告する予定です。

Joschi

2007年3月25日日曜日

応用光学懇談会(大阪)に現れます

3月26日(この月曜日)に大阪で開催される応用物理学懇談会でしゃべります。
タイトルは『光コヒーレンストモグラフィーによる皮膚内小組織の観察』。もっとも、ほんとは何しゃべるかまだきめてません。スライドも一枚もできてません。本番までにテンション上げておきます。なにがでるかは当日のおたのしみってことで。

Joschi

続報: 無事終了しました。結局演題は「光コヒーレンストモグラフィーによる3次元皮膚観察―『色』のついたOCT」としました。講演資料などご希望の方は安野までご連絡ください(連絡先は右のプロフィール参照)。全ての再配布はできないのですが、出来る範囲で資料お送りします。

2007年3月23日金曜日

ECBO の採択が決定しました

今年6月にミュンヘンで開催される国際会議 ECBO 2007 (European Conference on Biomedical Optics 2007)の採択が決定しました。COG の今回の採択率は 100%。以下の4件の口頭発表が採択されました。

  1. “Scattering optical coherence angiography with 1-um swept source optical coherence tomography”(発表者: COG 安野嘉晃)
  2. “Phase retardation measurement of retinal nerve fiber layer using polarization-sensitive spectral domain optical coherence tomography and scanning laser polarimetry”(発表者:COG 山成正宏)
  3. “Optical coherence angiography for the retina and choroid”(発表者:COG 巻田修一)
  4. “Polarization-sensitive Fourier-domain optical
    coherence tomography for the imaging the anterior segment disorder of the
    eyes”(東京医大:三浦雅博)
それではみなさん、ミュンヘンで会いましょう!

Joschi

2007年3月21日水曜日

Paper Review #1: 1 um OCT と高分解能

A.D. Aguirre, P.R. Herz, Y. Chen, J.G. Fujimoto, W. Piyawattanametha, L. Fan and M.C., "WuTwo-axis MEMS Scanning Catheter for Ultrahigh Resolution Three-dimensional and En Face Imaging," Optics Express 15, 2445-2453 (2007) [Link to the article].

ちょっと前の Optics Express に掲載されていた MIT の OCT グループによる論文です。タイトルからもわかるとおり、主題は MEMS ミラーを使った OCT 用小型高速カテーテルスキャナーです。この主題に関しては、論文を読めばいいことなので、それ以外の読んでて少し気になったことについて書こうと思います。

一般的にカテーテル OCT では 1.3 um 帯の光がプローブとして用いられます。ところが、この論文で使っているOCTの光源(Nd:glass レーザー)は中心波長 1.06 um なのです。この 1 um 付近という波長帯、最近、眼底の OCT で注目を集めている波長帯です。この波長の光は硝子体(眼球の中身)の吸収の影響が小さいうえに、従来眼底のOCTで使われていた 830 nm よりも波長が長いので眼底の奥まで侵達・画像化できるんです。でも、この論文の主題はカテーテル。食道や血管が計測対象になるわけです。眼底用ではないんですね。ではどうして 1.06 um という波長帯を使っているのでしょうか?

これ、多分、(タイトルにもありますが)高分解能化のためだと思います。OCT では2種類の分解能を考える必要があります。一つは深さ方向の分解能。この分解能は「光源の波長幅に比例して高くなる」という性質があります。この論文で使われている Nd:glass レーザーは 200 nm 以上の波長幅がありますから、まず、この点で高分解能化が狙えます。さらに、この分解能は「光源の中心波長の二乗に比例して悪くなる」という特性もあります。つまり、一般的なカテーテル波長である 1.3 um よりも波長の短い 1 um 帯域はそれだけで深さ方向の分解能向上に貢献しているのです。しかも二乗で!

OCTのもう一つの分解能は横方向の分解能です。これは「プローブビーム幅に比例してよくなり、波長に比例して悪くなる」という特性があります。カテーテルの場合、カテーテル自体を小さくする必要があるため、プローブのビーム幅を大きくして横分解能を稼ぐ方法には限界があります。そこで、1.3 um よりも波長の短い 1 um 帯の光使うことで横分解能を 1.3 倍改善できるわけです。

ここで、「波長を短くすれば分解能が上がるならば、より短い 830 nm 帯域を使えばいいのでは?」という考えもできます。でも、830 nm まで短くなると今度は生体組織による散乱が強くなりすぎて組織の奥まで見えないのです。そういう意味で、1 um は高分解能が得られ、かつ、奥まで見える波長帯であるということが言えます。

さらに言えば、1 um 付近は生体を構成する主要要素の一つである水のゼロ分散領域ですから、1 um 帯域のOCTは分散による解像度の低下も受けにくくなります。このあたりも、高分解能を狙う上で有利に働くことになります。

ここまで、高分解能を狙うことが当然のよりに議論してきましたが、では、どうして高分解能を狙う必要があるのでしょうか?これは、カテーテルOCTの重要な応用が消化器系の癌検出にあるからだと思います。癌化した細胞では細胞核が肥大し、その形もいびつになることが知られています。つまり、OCTが高分解になり、細胞核まで見えるようになれば、生検をとらずに癌検査が行えるわけです。

今日はOCT光源の波長からここまで妄想をふくらませてみました。あくまでも安野の私見ですので、話半分できいておいてください。

Joschi

2007年3月16日金曜日

新ブランド「COOG」を立ち上げます

筑波大学眼科のOCTグループ、東京医科大学眼科のOCTグループといっしょに新ブランドを立ち上げることになりました。新しいブランド名は Computational Optics and Ophthalmology Group。略してCOOG (シー・ダブルオー・ジー)です。今後、COGからの眼科に関する研究発表は従来のブランドCOGとCOOGの二重所属で行われることになります。

大学の研究室では往々にして教授の名前がブランド名として使われます。誰々研究室、と。でも、そういうブランドって、教授が引退したら終わりなんですね。そして、個人名=ブランドという状態が続く限り、そのブランドは個人の、そして、個人の所属している組織のスケールを超えられないのではないかと思うわけです。

日本の大学の研究組織とアメリカのそれとを比較して気づくことがあります。日本では一個一個の組織の規模が小さいのです。じゃあ、この組織規模という壁を越えるにはどうすればいいのか?それに対して、僕が考えたことが「ブランドと個人、さらにはブランドと大学、を分離することで、教授という個人、大学という小組織を超えた、より大きな研究組織を作ることができるのではないか」と、いうことです。そして、それが、僕がCOGを立ち上げた最初のきっかけでもあります。周りがCOEという、国の政策の下の組織としての箱物行政を推進する中、COGは僕が組織の中身にこだわり続けた上での、僕なりの回答の一つでもあります。

そんなCOGも、歴史的な役目を終えようとしています。呉の孫家も、孫堅、孫策、孫権と代を重ねながら前に進みました。眼科に関する部分では、COGはその役割をCOOGに渡していこうと思います。そして、それは、研究組織の中身が、COGでは受け入れられないほど成長していったということだと思います。

願わくば、COOGが、僕が働きたくてやまないような、勢いと楽しさにあふれた実のある組織にんならんことを。そしていつか、COOGもその歴史的な役割を終え、より大きな魅力的なグループのできることを。

Joschi

2007年3月13日火曜日

お風呂にゆっくりつかるには

床屋とお風呂ってのは、いいもんですね。どんなに忙しくても強制的にのんびりさせられます。どんなに仕事がたまっていても、だまって髪を切ってもらう、ぽちゃんとお湯につかる、というような。床屋で顔をあたってもらう時のあったかい泡が最高です。お風呂にひょっこり入ってくる飼い猫の鼻にお湯をつけて遊ぶのも楽しいですね。

こんなのんびりなのですが、さすがに毎日となると退屈してきます。床屋はいいのです。多くて月に一回ですから。でも、お風呂は毎日です。なんとなく飽きてくるのです。そのうち烏の行水になってきます。昔はそれでもよかったのです。若い頃は。でも、30過ぎるとだめですね。それでは疲れがとれないのです。

つまりまあ、何が言いたいのかというと、「飽きずに、毎日、のんびりお風呂につかるコツ」というようなものがいるのではないかと、そう思うわけです。そして、実際いろいろやってみているわけです。

最初に、マンガを読むってのをやってみました。まあ、普通にいい感じです。頭も使わなくていいし、水に濡れたら捨てればいいわけです。でも、なんとなく、物足りないのですね。一日二日ならいいのです。でも、毎日となると。読み終わった後に、そこはかとなく時間を無駄にした感がただようのです。なにより、毎日風呂でマンガを熟読する32歳(独身)というのはいただけません。

次に、雑誌を読むってのをやってみました。PC系の情報誌とかですね。これは結構快適です。いいかんじで頭使わずに読めるわりに、時間を無駄にした感もありません。でも、問題があるのです。雑誌、湯気でへにょへにょになるのですね。別にしょうもない雑誌ならいいのです。でも、風呂で読んでいる雑誌に限って、「お、いいね。これ、とっとこ」というような事が書いてあるのです。無念です。

そこで、次に、週刊誌である Science を読むことにしました。週刊誌ですから、次から次へと届きますし、湯気でへにょへにょになっても、面白い記事はネットでPDFがダウンロードできます。完璧です。非の打ちようがありません。……。ところが、これにも一つ問題があったのです。専門用語がわからないんですね。英語の。自分の仕事の分野に近ければ辞書なしでよめます。でも、専門からはずれるとダメですね。基本的に geek な安野は、子供がすきそうな科学ねた、結構好きなのです。地学、考古学、宇宙、そういうやつ。
でも、英語だとわからんのです。辞書なしでは。そして、いくら豪気をめざす安野でも、電子辞書を風呂場に持ち込むほどの勇気はありませ。高いですし。

で、最終的に行き当たったのが、「論文」です。風呂場で読むのです。自分の専門のを選べば辞書もいりません。長さも、レター論文ぐらいのをえらべばいいのです。烏でもなく、のぼせず、ほっこりぐらいの時間お風呂につかれます。

唯一の問題は論文の水濡れをどうするか、でした。まあ、PDFを印刷するわけですから、濡れれば捨てればいいのです。でも、読んでる間によれよれになるのはこまります。結局これはクリアーファイルで解決しました。よく、百均とかで売ってる、透明ポケットのたくさんついたファイルです。ここにプリンタで印刷した論文を入れるのです。あとは、上からお湯をかけないように注意するだけです。ポケットの上はあいてますが、下は密封されてますから、多少お風呂につかってしまっても OK です。

これを思いついてからお毎日汗をかくまでほっこり風呂につかれるようになりました。しかも、時間を無駄にした感ゼロです。ただし、一つ忘れてはいけないことがあります。風呂上りにはファイルの全部のページをきちんと乾いたタオルで拭いておくこと。翌日ファイルが臭くなります。

Joschi

2007年3月11日日曜日

禁酒と率直の話

知ってる人は知ってると思いますが、安野はプチアル中です。まあ、お酒はかなり弱いほうなのですが、飲まないと落ち着かないのです。疲れがたまってても晩酌します。ひょっとしたら「プチ」はとっちゃってもいいのかもしれません。

そんな安野ですが、2ヶ月に一回ぐらい「禁酒」を誓います。で、2、3日お酒を我慢するわけです。そうすると、そのうち思うのです。「最近お酒飲んでなくて調子もいいし、ま、一杯ぐらいのんでもよくね?」と。「一杯だけ飲んで、また、しばらくお酒はやめよう」と。でも、ダメですね。一杯飲んだら終わりです。そのあとやっぱり、ぐずぐずお酒を飲む生活です。

ところで関係ないんですが、僕は、自分に納得できないことがある時は、誰に対してでも、どんな場でも口に出して指摘するようにしています。先日も、とある省庁系のシンポジウムで指摘しました。僕は発表者の意見に納得できなかったし、自分に不利な情報を完全に無視する発表者の態度を、研究者として尊敬できなかったからです。そして、きちんとそれを指摘することで研究も、研究行政もよくなると思ったからです。

その後、知人と話していてこんな事を言われました。「ほんとに世の中よくしようと思うなら、おかしいと思うことでも気づかない不利をして、自分が『おかしい』と思っている事も絶対気づかれないようにして、出世してたほうがいい」と。「そして、自分がシステムを変えられる立場になったら、一気にたたみかけるのがいい」と。僕はその意見に賛成です。下っ端が何を言っていても何も変わりません。もし、僕が十分しっかりした人間なら、絶対そうします。

ところが残念ながら、僕の意思はぐずぐずです。一回禁酒を破ると、まただらだら飲みだすタイプです。だから、僕は、納得してないことをそのままにはしておけないのです。そんなことしたら、そのままぐずぐず、そういうのを気にしない人間になってしまいます。僕にとっては単純な二択なのです。はっきり物を言い続けるか、自分の尊敬できない人間になるかの。

中村君が卒業します

先週金曜日2007年3月9日が中村君のCOGにおける仕事納めでした。

3年前、彼が卒論研究生として来た年、COGでは初の新入生面接を行いました。その時きちんと挨拶をしなかったことで注意を受け、ドアから入るところからやり直させられたチャラい兄ちゃんが、もう一人前に修士です。毎日顔を見ていると、たいして成長してないような気がするのに、こうやって3年前を思い返すと、全く別人のようなのが不思議です。

先輩と組んでファイバー型のSD-OCT装置を作ったのが4年生、その後の修士コースでは遠藤君のあとを継いでラインフィールドSD-OCTの開発を行いました。遠藤君のあとを継いだとはいうものの、実際には中村君が組み替えた全く新しいシステムです。まず、設計をして、仮組みをして、最初の画像を取得して。で、その画像が汚かったことから彼の解析人生が始まりました。

ラインフィールドSD-OCTではどうして画像が汚くなるのか、コヒーレントクロストークの解析に始まり、COGでは誰も技術をもっていなかった系の収差解析にもどっぷりでした。本を読んだり(勝手に)勉強会に参加したりして独力で勉強していきました。そして、彼なりに出した結論は彼の修士論文と、そして先日投稿した論文“High-speed 3D human retinal imaging by line-field spectral domain optical coherence tomography”にまとめられています。

系の解析が終了し、ここから系の改良!と、いうところで卒業なところが惜しまれます。でも、ここで仕事をかえるのもいいかもしれません。中村君は4月からはブラザーで向上をつづけていくようです。

修士論文も投稿論文も終わり、仕事の引継ぎも終わり、あと数日で仕事納めというときに、「まだ理解し切れてないところがあるので」といってコンフォーカル検眼鏡の論文を読んでいる、そういう向上心が印象的でした。

3年間、立派にやっていたと思います。中村佳史に敬意!!!そして、願わくは、またもう一度いっしょに働けることを。君と働く事は、僕自身の向上心を刺激します。

Joschi

2007年3月9日金曜日

競争原理とグランプリモード

テレビゲーム、僕は結構好きなのです。最近は、あんまり時間がなくてやりませんが。

大学生の頃にみんなでよく遊んで、今でも名作だと思うのが「マリオカート」です。スーパーマリオのキャラクターがちっこいカートに乗ってレースするやつ。アイテムを使って無敵になったり加速したり道路にバナナの皮おいたりするんです。

みんなあんまりやらないんだけど、そのマリオカートに「タイムアタックモード」ってのがあるんです。ひたすら一人でコースを回り続けるんです。ぐるぐるぐるぐる。ハムスターみたいに。で、コンマ何秒の世界で記録を競うわけです。有る意味、自分との戦いです。ちょっとでもブレーキのタイミング間違えると、如実にタイムに現れます。でも、そういう時は自分を責めるしかないわけです。つらいです。

で、僕の結論としては、やっぱ、マリオカートは友達とグランプリモードで遊ぶのが楽しいです。なんとなく好きな仲間たちと、わいわいやりながら。勝ったり負けたりして、だんだんうまくなって、みんなコースレコードが良くなっていく。大学の頃の夏休みは、徹夜でそんなことばっかりやってました。

だから、僕は今でもグランプリモードが好きです。マリオカートだけじゃなくて、仕事でも、研究でも。周りに競争相手のいない所で、一人でこつこつ仕事して、一人で着実に進む。僕は、そういうのって、すごいと思います。自分との戦いです。ある意味修行です。でも、みんながみんなそうやって淡々と仕事を進めていけるほどタフではないのです。やっぱ、仕事もグランプリモードが楽しいです。

自分がほんとにすごいと思う相手と競争して、勝ったり負けたりしながら仕事を進めていくのは、やっぱり楽しいです。そして、そうやって競争してると、みんなだんだん前に進んでいくのです。なにより、楽しいグランプリを探していると、面白い競争相手に出会えます。面白い人間が周りにいない人生なんて、想像しただけで退屈でしょげてしまいそうです。

今、僕のやっている仕事には、世界中にすごい競争相手がいます。なかなか勝てないけど、でも、グランプリモードを一緒に遊んでいるだけで、十分楽しいです。尊敬する相手との競争は、勝っても負けても気持ちいいです。でも、やっぱり、勝ちたいとも思います。そして、負けるとやっぱ、腹が立ちます。

僕がマリオカートから学んだこと。「勝ったら全身で喜ぶこと。負けたら思いっきり口惜しがること」これが、グランプリモードを楽しむコツです。

Joschi

2007年3月5日月曜日

中村君が論文を投稿しました

中村君が論文を投稿しました。タイトルは
"High-speed 3D human retinal imaging by line-field spectral domain optical coherence tomography." 投稿先は Optics Express です。

修士の2年間こつこつとやってきたことを最後にまとめた論文。共著の僕が読んでも、良くかけた論文です。読んでいて新鮮な面白さがあります。自分たちがもうわかりきっていると思っていたシステムに関する論文なのに、丁寧に解析していけばこんなにも面白いことがあるのか、と思わせます。

できれば、無事査読を通過して、世界中の不思議な尊敬するライバル達に呼んで欲しいです。

Joschi

2007年3月4日日曜日

悪口とモラルの話

僕はよく他人の悪口を言います。それは、僕に劣等感があるからだと思います。他人のことを悪く言うことで、自分を逆に褒めてもらいたいのでしょう。能力の話を持ち出しても、どんな倫理や正義を引き合いに出しても、悪口はただの悪口です。

能力の評価は、それを評価する人間のものさしに映した、評価される人の投影です。能力の評価で他人のことをとやかく言うのは、常に評価する側が有利になるような出来レースです。だから、能力を根拠に他人を「ダメだ」批判するのはアンフェアな悪口だと思います。そして、僕に限って言えば、それは、自分に対する劣等感を他人になすりつけているだけの、さらにアンフェアな悪口です。

倫理や正義も、他人をダメだと批判する理由にはなりません。それは、倫理や正義が個に属するものではなく、集団に属するものだからです。そして、その集団も、視点を遠くに取れば多くの集団の中の一つの「集団という個」でしかありません。

僕には僕のモラルがあります。でも、それは、僕の中で完結したものであり、僕の中でだけ通用するモラルであり、宇宙の真理でもなければ、まして社会的な正義でもありません。それぞれの人にはそれぞれのモラルがあります。そして、それは、多くの場合、互いに衝突するようなものです。だから、僕は僕のモラルに反する人間をダメな人間だとは思いません。そういう人をダメだと言えば、それは、悪口です。

それでも、やはり、何か言いたいことがあるのです。なんとなく、嫌なのです。だから、そういう気持ちを表現するために、僕はもっと単純な言葉を使おうと思います。それは「嫌い」という言葉です。「嫌い」は個人の感情です。何の理由もありません。ただ「嫌い」だし、ただ「いや」なのです。嫌われた人間が悪いわけではありません。いやだと言われた事は悪いことではありません。それは、単に、僕の中で完結したような、そういう単純な話です。

ここまでの事をきちんと理解してから聞いてください。

僕は、いい加減な研究者が、嫌いです。研究に対して誠実でない研究者が嫌いです。予算を取ることが成果だと思っている人間が嫌いです。そして、その予算が、みんなが一生懸命働いて稼いだ払った税金だと、明確な目的と信念もなく使う人間が嫌いです。それは、社会正義とか、研究者の倫理とか、そういう問題ではありません。僕が、嫌いなのです。僕は、自分がそういう人間になるのが、嫌なのです。

2007年3月2日金曜日

COG web site 再開

COG の web site が再開しました。昨年10月の停電時にサーバのハードディスクがクラッシュして以来、5ヶ月ぶりの再開です。まだ、クラッシュ時のページをリストアしただけですが、徐々にアップデートしていきます。